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毎朝起きる度に「問題児に後遺症を負わされた理不尽」を思い出させられて殺したくなる/毎晩悲しみや憎しみをノートに書き続けてきた

14年前から毎朝、夢から醒めて、問題児に武器で殴られて後遺症を負わされた現実を思い出させられ、問題児一家への殺意とともに起床します。

例えば人体に対して、ホワイトボードマーカーを投げられるのと、金属製の分厚い手裏剣を投げられるのでは、威力がまるで違います。後者は硬くて重いです。

そんな危険なものにチェーンがついた武器を、振り回して遠心力でさらに威力がついた状態で殴られたわけです。そんな善悪の判断もつかない人間、さらにその上そんな大きな傷害罪を息子が犯しても慰謝料を払う誠意すら見せない親に育てられた人間、何の想像力も働かずにそんな危険な武器を息子に買い与えるような親に育てられた人間が、子供を作って、大手を振って生きていいのでしょうか?「子供に武器を買い与えてもいいんだ」。「人を武器で殴ってもいいんだ」。そんな認識で自分の子供に武器を買い与えて、その子供がもし人を武器で殴って後遺症を負わせても、「謝罪も慰謝料もしなくていいんだ」と考えることでしょう。なぜなら誰も問題児に道徳を教えてこなかったのですから。その上、「人を武器で殴ってもいい」というサイコパス遺伝子も受け継がれている可能性もあります。そんな「人を武器で殴って後遺症を負わせて、ヴァイオリンを奪った」キチガイに、子供を作って、自己陶酔して生きる資格があるのでしょうか?「現実を変えられるのはマジョリティーに抗って何かに執着できる人だけ」みたいな意識高い自分に酔ったツイートする資格があるのでしょうか?人が親からもらった大切な身体と精神と人生を壊したキチガイが、一丁前に未来を語る資格があるのでしょうか?

誰が何がそれを認めようが、私は理解できません。許せません。理解できないから心が苦しいです。だからこうやって、文章にして心の苦しみを発散しています。

14年前からあいつのことが許せなくて殺したくて、ノートに毎晩悲しみや憎しみを書いていました。その心の苦しみを、今はこうやってnoteに書いて発散しています。そうでもしなければ、このあいつを殺したい気持ちを抑えきれない。頭の中では毎日何度もあの問題児一家を殺した。

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