組織運営の技術
組織運営の技術-契約
明治維新政府は新制度として四民平等をうたって、すべての国民は平等であるとしました。でも対等であるとは言っていません。新政府(官)は江戸時代のお上と何も変わらず、徳川の時代の方がよかったと庶民レベルではよく言われたものです。新政府の一般国民に対する扱いは上下関係のままで、全く変わりませんでした。士農工商は無くなりましたが、官尊民卑が始まりました。
明治新政府の下で州(国)と藩は無くなり、県が置かれ知事が任命されました。明治政府は徳川幕府に代わりましたが、同じ力による統治を進めて中央政権を確立しようとしました。しかし、新しい日本を作るうえで中央政府と地方(府県)や官と民では立場は違うが対等という考え方は育ちませんでした。上下関係による統治という封建時代と同じ手法しか経験したことがなかったからです。
その結果、今でも多くの組織において力で組織を運営するという手法が定着しています。人や組織が互いの違いを認めて初めて対等の話し合いができるというフェアな組織運営をするという考え方の経験も理解もないからです。
西洋で始まった契約を結ぶという行為は、明日はいないかもしれない相手と約束しなければならない状況が始まりです。当事者が合意し署名を交わす契約書にはいつ、どこで、何を、どうするかといった目的を明確にすることはもちろんのこと、いつどうなれば、どのように約束を終わればよいかが文書化してあります。最も重要な点はダメな時にどうするかが明文化されていたことです。
契約を結ぶときに大切なのは、相手の身になって契約内容を吟味してみることです。契約内容や各項目は十分に対等の立場で書かれているのか、片務契約になっていないか。もし自分が相手側であったとしても、契約書に進んで署名するかどうか、つまり契約がフェアな内容であるかどうかが判断の基準となります。
契約内容の解釈に疑義が生じたときに検討することは、契約書を作成した時の意向はどうであったかを復習してみることです。契約はあくまで対等の立場で結ぶものですから、作成した時の意向がどうであったかを確認することが重要になってくるわけです。また、契約書の条項を解釈するとき、条項が適用される側に不利になるような解釈は許されません。
歴史的に「契約」が社会運営上必要なかったので、いまだに組織運営に対等の話し合いが行われているように見えないことは残念です。組織を力関係(数の力)で運営し続ける限り、現在の3周遅れを取り戻すことは望めません。組織が物事を決定するときには、決定が関係者にとってフェアであるかどうかの熟慮が必要です。新年を迎えて自らが属する組織がフェアであるかどうか検証してみてはいかがですか。遅れを取り戻す一歩になることは間違いありません。