組織運営の技術
組織運営の技術-情報公開
最近のメディアなどで繰り返し報道されている言葉に「日本再生」があります。高度成長を経て先進国の仲間入りをして、世界有数の富める国となった時代からバブル経済の崩壊を経て、失われた20年に続く10年は格差の大きく広がる政策がとられてきました。その結果として、いろいろな分野でもう先進国とは言えない状況があります。30年間の間にほとんど進歩することはなく3周遅れを招き、極東の一普通の国になってしまったのです。しかし、わたしたちが実態を正しく理解しているとは言えない状況もあります。
なぜこのようなことになったのでしょうか。原因の一つに正しく情報が伝えられていないことが挙げられます。マスコミの報道にも問題がないとは言えませんが、社会を構成する数ある組織のうちで上部に所属する組織を運営する人たち、言い換えますと力を持つ(権力を行使できる)人たちが、自分たちに都合のいい情報しか出さないことにも原因の一つがあります。
また、組織を規定する規則には抽象的な表現で書かれている場合が多いので、解釈する人たちに許される裁量の範囲が広すぎることにも原因があるようです。裁量範囲が広いので、規定を自分たちに都合のいいように解釈できるからです。規則の文章が抽象的であったとしても、適用にあたっては原則として規則を作成した時の精神(意向)に基づいた解釈を行うことが求められているにもかかわらずです。ルールは適用する側ではなく、適用される側が不利にならないように解釈しなければならないという法治の基礎をなす共通原則があるからです。
たとえば、委員会などの委員を選任し任命するとき、選任する組織と任命する組織が違うことは普通にあります。つまり、委員選任は組織内で行いますが、Formalityに過ぎない正式任命が正式を重視する文化に依って上部組織の権限とされる場合です。任命がFormalityに過ぎないにもかかわらず、上部組織の長が正式任命は権限の範囲内として任命の慣行に従わないことがあります。慣行を外れて権限を行使する場合、組織の責任者には権限行使について十分な説明が求められます。委員会を持つ組織に対して責任者はその権限の行使について納得できる理由説明しなければなりません。説明がなされない場合責任者の裁量範囲内での権限の行使だと理解できますが、説明責任がなくなるわけではありません。こうした裁量による組織運営は、業務執行の透明性と公平性を欠いて組織を私物化しているのではないかと疑われても仕方ありません。
情報の公開が裁量によることを避けるためには、規則の明確化が不可欠です。規則をより明確にして裁量の範囲をできる限り小さくすることが求められます。そのためにはルールの不備を修正する話し合いをしなければなりません。話し合いにおいても力関係が前面に出ることが伝統的に行われていますが、話し合いや交渉は対等の立場を理解することが必須です。
歴史的に権力者が力で治めてきた日本と、契約条文のもとに立場は違っても組織と組織、人と人は対等でなければならない(自ら上下関係はありましたが)という精神(立場)を育んだ古代ローマ帝国の違いを理解する必要があります。当然のことながら古代ローマ時代も立場が違えば上下関係があったわけですが、契約上は対等の立場であることが社会通念として理解されていたといえます。違いがあっても契約上は対等の立場であると理解することは、古代ローマから現代の先進国につながる社会の基本をなしている概念といえます。近代以降は、日本でも契約システムは導入されてきました。契約を結ぶときには対等である甲と乙が、契約の実行にあたっては甲と乙の上下関係が反映することは否めないのではないでしょうか。
外交においても対等の立場を理解して交渉することは基本です。明治時代に不平等条約の改正交渉を進めてきましたが、いまだに不平等条約と思わざるを得ない約束が残っていることに驚かされます。対等の交渉をする意志を持って交渉に臨む責任者はいるのでしょうか。ここにも3周遅れがあります。