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訪れた国

Episode 29 – The Philippine 1
 
初めてフィリッピンを訪れたのはマカティが開発され始めた頃です。ペニンシュラホテルと各国の料理が食べられるキャンティーンがあるくらいで、建物はなくやっと道路が整備されてあとは空き地ばかりでした。
30年後に訪れた時はマニラの海岸は埋め立てられているし、電車が走っています。すっかり変わった街になっていました。変わらないのは相変わらずの明るい人たちと車の洪水。どこへ行っても控えめに英語をしゃべる人たちと車の渋滞です。
マカティは高層ビルが立ち並ぶ一大ビジネス都市に変わっていました。マニラでもスターバックスは大人気で混んでいます。暑いところだからでしょうか、みなさんが普通に飲んでいるカップはあの背の高いグランデサイズです。郷に入っては郷に従え、ということでグランデサイズを注文しました。結構飲めてしまうものですね。
マニラの空港は新しくなっていますし、チェックインカウンターではお客さんが整列しています。車寄せもすっきりしていましたが白タクは相変わらずいるようでした。古い空港では到着ロビーの混雑から出ると白タクの運転手や観光案内などが付きまとって、だまされないように、荷物を取られないようにと気が張り詰めたものです。
出国時の出発ロビーは人が一杯で、チェックインカウンター前は溢れる人でごった返していました。列がわからないほどの大混雑の中でなんとか順番に並んでいると、突然に西洋人のおばさんが割り込んできて「お前は中国人だろう、順番に並ばないなんて」という。自分が割り込んできているにもかかわらず、アジア人と見ると中国人だろうとののしるのです。白人だからといって教養のある人ばかりではありません。
 海沿いの遺跡に行ったときは子供たちが海の中にいて、観光客に小銭を投げてくれるように催促します。海に投げ入れられた小銭を潜って拾うのです。海水は濁っていて決してきれいな水ではありません。底に沈んだコインをよく探しだすものです。
 遺跡は公園になっており、警察官がパトロールしていました。警察官に話しかけて道を尋ねると、お金をよこせと要求されました。みんな貧しかった。
マルコス時代の末期でフィリッピンはどんどん貧しくなっていったのでしょう。1950年代から1960年代にかけてのフィリッピンはアジアで日本に次いで豊かな国と理解していました。スポーツも盛んでアジア大会ではメダルをたくさん取っていたし、デビスカップ杯のアジア地区決勝は日本とフィリッピンの戦いだったように記憶しています。フィリッピンが貧しい国だという印象は訪れるまで持っていませんでした。
 あれから36年たってまたマルコス家が戻ってきました。今度は独裁というわけにはいかないでしょう。日本や周辺国と共にアセアンの国々とも一緒になって南シナ海の自由と安全を守る重要な一員ですから。外交で力を発揮してもらいたいものです。陽はまた昇る。フィリッピンは普通の国になっていくことでしょう。アセアンには他にも普通の国ではないと思わざるを得ないような国があるのは残念なことです。
話は変わりますが、サッカーワールドカップではアルゼンチンが36年ぶりに優勝しました。なぜか同じ36年ぶりです。36は不思議な数字なのでしょうか。
 

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