組織運営の技術
組織運営の技術-車の両輪
先日フィンランドのマリン首相が日本を訪問しました。ミシェル欧州理事会議長も来日しました。2月24日のロシアのウクライナ侵攻以来ヨーロッパの要人が次々と日本を訪れています。彼らの訪問は日本がアジアから唯一のG7メンバーであることと無関係ではありません。彼らは日本の力を信じているからです。
1973年のオイルショックのとき西側の工業化した民主主義のアメリカ、イギリス、フランス、西ドイツの4か国首脳が経済的課題を討議するため非公式にワシントンに集まりました。その時、アメリカが首脳会議に日本を加えるように提案したので、1975年の第1回首脳会議には五か国(G5)がフランスのランブイエに集まりました。イタリアも参加してきてG6となり、1976年にカナダが加わってG7となりました。1998年から2013年までロシアが招待されてG8の時期がありましたが、2014年のクリミヤ侵攻を機にロシアは招待されなくなってG7に戻りました。
日本は1975年の第1回サミットに参加したことで先進国の仲間入りをしました。日本が1回目のサミットから参加できたのは日本の経済が無視できないほどに発展していたからです。1968年に日本のGDPは西ドイツを抜いてアメリカに次いで2番目になっていたのです。
日本の先進国入りを支えたのは主に製造業です。日本の製造業にできないものはないと言われるほど、なんでも製造して日本経済の高度成長を支えたのです。日本の製造業は消費者が好む製品を高品質で比較的安価に製造したので、日本製品は世界中で高い評価を得ました。製造業の発展とともに日本のGDPが伸びた結果、世界2位の経済力を持つまでになって、先進国は日本を無視できなくなったのです。
しかし、このところ日本のGDPの伸びは芳しくありません。コロナ禍の影響があると考えられますが、日本が遅れ始めたのは1990年代のバブル崩壊が始まりで、コロナ禍で遅れが明らかになったと言えます。なぜ日本の総合力が相対的に落ちて来たかというと、理由の一つに高度成長を支えてきたモノつくりのワザの優位性に陰りが見えてきたことが挙げられます。日本からモノつくりの技術を習った後発国の追い上げがあって2011年には2位の座を中国に奪われました。
後発国は日本からモノつくりの技術を習って日本を追い越したのです。しかし、日本の組織運営手法をお手本にして取り入れようとした国は多くありませんでした。多くの後発国が植民地時代を経験してきたこともあり、宗主国の組織運営の手法をそれぞれの国情に合うように修正して運用しているからです。手法の詳細に違いはありますが、基本的に後発国の組織は宗主国と共通する手法で運営されています。
多くのアジアの国が先進国の植民地となる中で、日本は独立国として歩んできたので欧米の組織運営の方法を経験することはありませんでした。明治新政府は幕藩時代から続く上下関係は絶対という力による運営を継承したので、運営の基本軸は日本社会に伝統的な「知らしむべからず、依らしむべし」でした。
明治維新で新しい日本を目指したとき機械化されたモノつくりの技術は欧米から取り入れましたが、組織を運営する手法は徳川幕府時代の手法をそのまま引き継ぎました。薩長に率いられた新政府の運営は幕藩時代と変わらなかったとか、かえって悪くなったと言われたのは、誰も伝統的な組織の運営以外の方法を知らなかったのですから仕方のないことでした。渋沢栄一が驚いたフランスの軍人と商人が対等に話し合う姿は日本には定着しませんでした。
モノつくりはその対象が形のあるモノ(工業製品など)であるか、形のないモノ(建設設計など)であるかに関わらず、モノとの会話を通じて成果物を作ったり、生みだしたりするために必要な技術でハードの技術と呼ぶことができます。
組織は人と人との会話を通じて運営して組織の運営自体がモノを生みだすことはありません。組織の運営は繰り返し練習して身につける一種の技術ですから、モノつくりのハードの技術に対して、組織運営はソフトの技術と呼ぶことができます。組織運営の技術の基本的な方法や手順は標準化されており、多くの国で社会へ出る前に学校で身につける一般常識となっています。
国が発展し続けるためにはハードの技術とソフトの技術を車の両輪のように回し続ける偏りのない運用が欠かせません。残念ながら、日本では多くの組織がハードの技術では最先端にありますが、ソフトの技術は伝統的な力に基づいた運営です。その結果、気が付いてみれば3周遅れの現実があります。
今、組織運営の技術を復習して伝統的な組織運営の手法を見直すならば、3周遅れを取り戻すことは決して不可能ではありません。なぜなら、外交辞令とはいえまだまだ多くの国が日本を買ってくれているのですから。