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限りある時間の使い方〜有限で不自由なちっぽけな存在として生きることの意義を知ろう!
人生は有限である
世にあるタイムマネジメントの本は、工夫さえすればやりたいことはすべてやれるかのように書かれている。しかしそんなことは不可能である。
人生は有限であり、やりたいことのすべてはできない。我々はどれかを選び、その他は捨てなければならない。
この現実を認めることは辛いので、目をそらそうとしてしまう。しかし、実は、このことを認めることにより、人生はよりリアルになり、深く生きることが出来るようになる
あれを捨ててまで、これを選んだのだ、という選択をしたからこそ、選んだこれが貴重なものとなる。
時間を自由自在に支配することはできない
時間を、道具のように自由自在に操れるはず、と思うから、無駄な苛立ちが生まれてしまう。人は時間限らず物事を自由自在に支配することなどできない。それなのにすぐに成果が現れないと、焦ってしまったり、諦めたくなる。
例えば卒論執筆にはたくさんの時間と労力が必要だが、その現実を認めたくないがために目をそらし、手をつけずに後回しにしたり、逆にすごく焦って1日で終わらせようとしたりする。
ちゃんとした仕事をするためにはしっかり時間をかけなければならない。それをよくわきまえていれば、適切に時間配分をし、無理なく作業を進めていくことが出来る。
【感想】我々は本来無限の存在なのだけれど、有限の存在を楽しむためにこうして人として生まれてきたのかもしれない
無限に生きていきたいのに、お前の命は有限だ!とか、時間を自由に支配できるわけないだろ!とか、気が滅入っちゃうなあと思ってしまいがち。
でもでも、もしかしたら人はものすごい思い違いをしてるのかもしれないな?って思った
というのも、私たちは無限無窮の宇宙そのものなんじゃないの?ってこと。そっちが本当の姿なんじゃないのか。
でも無限無窮の宇宙って、ただ存在しているだけで何も面白くない。そこで、時の流れが存在する有限の生き物の中に意識として入り込んでみてるんじゃない?
寿命の短いちっぽけな人間として、時の流れの中で生きるからこそ、成長したり、失敗したり、出会いがあったり、別れがあったり、一瞬のきらめきや、あたたかい触れ合いがあったりして、それらの一つ一つがとても大切に思えるのではないかな。
そして、私たちがいつか死ぬってことはつまり、有限の存在であることをやめて、無限無窮の宇宙に戻るってことなんじゃないかな?
それこそ、もともとの願いのとおりに、無限に存在出来るようになるわけだが…。
きっとそれってすごく退屈で虚しいんじゃないかな。
有限で、ちっぽけで、何もかも自由にならないことをありがたく思って、よーく味わうように生きよう!と思いました。
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