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1月16日(火) 天気:晴れ 落伍者の呪いは解けたのかもしれない

ここのところずっと快晴が続いている。とてもうれしい。ただ、晴れているとなにかしないと損な気持ちになるので自分に面倒くささを感じる。夏生まれで誕生花に向日葵がある私は、どうも日光がないとだめな性分のようだ。
晴れているけど、外でなにかすることはやめてブラッシュアップライフの続きを観る。画面に夢中になるほど面白くて、そのまま最終回まで見終わってしまった。これまでの伏線がこうも華麗に回収されるとは。主人公のあーちんは、それこそまわり道にまわり道を重ねたけど、結局徳を積むよりも身近な大好きな人ためのために生きることにしたのだな。親友と過ごすなんでもない日常を心から喜んでいるあーちんたちを見て、涙が止まらなかった。
そのあと、印刷しておいた佐々木里菜さんの壁新聞を読む。めちゃくちゃいい。そして自分と比べてしまい落ち込む。やはり私はなんでも日記に書きすぎなのかもしれない。昨年も何度か「日記は人の目を意識して書いているのか」という疑問に当たったけど、結構な人が意識して書いているようだった。私は意識して書いていない方だと思っていたけど、ここに書いている時点で無意識に外に向けて書いているのかもしれない。

少し前にもう何年も連絡を取っていなかった学生時代の友人からメッセージが届いていた。一体どういう風の吹き回しなのだろうと思っていたら、今度ゼミの同窓会があるからよかったら来ないかという誘いだった。私は大学にもゼミにもほとんどいい思い出がなくて、できればもう関わりたくないとさえ思っているから行かないと伝えた。そもそもその発信元からみんなに来ているであろう連絡も、私には届いたことがない。というより、同窓会のお知らせはほとんど受け取ったことがないに等しい。いくらはみ出すのが役割とはいえ、少し寂しい。誘ってきた同期は、なぜか同窓会のお知らせメールを転送してきた。読みたくなかったけど、少しだけ見えてしまって、そこには昨年も学部の同窓会が開催されたというようなことが書いてあった。当然そんなこと知らなかったので、少し落ち込む。でも、誘われていたとしても行かないのでこれでいいのかもしれない。卒業後に一度だけゼミ会のようなものに出席したことがあるが、そのときにゼミの教授に「(お前は)ゴミだ」と言われたのを覚えている。ゴミになるきっかけだった人も同じゼミにいて、その人とはなんの因果か昨年道ですれ違った。向こうは気づいていない様子だったけど、本当にぞっとした。でも、そのときと今回のことで、学生時代に自分にかけていた「落伍者」という呪いは解けたのかもなあとぼんやり思った。

来月からのことをぼちぼち考え始めている。長野か、京都か、どこかには出たい。でも、出るとなると仕事はどうしよう。ひとつやってみたい仕事は見つけたものの、内容は良くても業界と勤務地に難があり二の足を踏んでいる。とにかく自然に近いところに行きたい。朝早く起きて日の光を浴び、適度に体を動かしてごはんは畑で取れたものを使い、夜はゆっくりお湯に浸かって日が変わる前に床に就く生活。でも、また職業訓練に行くのもいいかも。次ハローワークに行くときに話を聞いてみよう。

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