1月10日(水) 天気:雨
今日こそは9時ごろに起きてやる、と意気込んだのに起床して時計を見ると昼過ぎだった。がっかりしながらいつも通り朝食の味噌汁を飲み、コーヒーを淹れる。そのまま韓国ラーメンでも食べるかと思ったが、これではなにごはんか分からないため保留。正月食べすぎていたのを少しでも取り返したい。今日は何かを決意するのにいい日だというのを見たし、「今年こそ痩せる」という目標でもいいのではないか。
夜になるとなんとなく動く気になって、1年以上ぶりくらいに運動を再開できた。久しぶりに画面越しに会う竹脇まりなさんは相変わらずで、おかげさまで体を動かすのがとても楽しかった。
仕事を辞めてからひと月以上経った。その間の変化といえば、これまで「右脳派の人にはピンク、左脳派の人には緑に見える」とされている画像が今まではピンクに見えていたのにずっと緑に見えることだろうか。文章を書いたりzineを作ったりという活動から離れ、原神を一日何時間も遊んで元素反応の組み合わせとかをひたすら考えているからだろうか。でも、そんなときもあるよねくらいで焦らずにいきたい。
今年は年が明けてから北陸で大地震があったかと思えば、母親が血便とタール便(後にこれはタール便ではないのではという見解を医者から得る)を出し、正月気分どころではなくなった。両親は世間的に見ると高齢で、いつ何があってもおかしくないとは思っていたがまさかこんなに早く訪れるとは思ってもみなかった。それもがんかもしれないという可能性を引き連れて。
私よりも年上の人が、今年の抱負に「両親を旅行に連れて行く」と書いているのを見て、心底羨ましくなった。私の両親がいつまでも元気でいるなんて保証はない。父親に至ってはもはや薬で生かされているだけで、今月下旬の検査次第では入院して手術する可能性もある。それで改善が見られなければペースメーカーを入れる必要があるという。
2024年からの3年間は、歴史的にも転換点になるような出来事が多数起きるというのをどこかで読んだ。それにしても年が変わってから飛ばしすぎだと思う。
確かに今年はいろいろ自分にとっても変化の年だとはうすうす感じてはいるが、そういう変化だとは思ってなかった。いつまでも自分の心配だけしていたい。でもそんなのはただのわがままだ。来月辺りから県外に移住しようと思っていたが、それも叶わないかもしれない。
とにかく母親と父親の検査結果次第だ。
世界に目を向けても自分の心配ばかりしている場合ではないことが毎日起こっている。SNSで知り合いがそれらについて発信したり行動したりしているのを目にするたび、すごく後ろめたい気持ちになる。それでも、いまは自分が生きるのに精一杯だ。自分のことすらままならないのに、人を救うなんてできないと思っている。まずは自分が地に足をつけて立たなければ。いまはできることは少ないかもしれないけど、知ることだけは続けていくつもり。