氷河期世代の積怨
序
社会から見捨てられた世代、その名も「氷河期世代」。ロスジェネ、ロストジェネレーションなどとも呼ばれる我々は、バブルの繁栄の波が去りし頃社会に出、腐りきった現実に直面することとなった。
疲れ果て、共感される事すら望めない我々世代の苦痛を、そして今もなおこの社会に影を落とす、氷河期世代の悲痛な声をここに記す。
私には大したことは出来ないが、せめて文章で綴ろうと思う。
氷河期世代の積怨を。
私の積怨を。
我が国と社会への思い
日本という国は、世界でも比較的治安が良い。
上を見ればきりがないとはいえ、世界を相対的に見渡せば経済的には恵まれている。
社会も安定しておりそう悪くはない国であろう。
しかし私はこの国と人々、特に我々より年上の世代が心底嫌いである。
特に我々の親である団塊世代からバブル世代の連中は、我々ロスジェネとも言われる氷河期世代を地獄に突き落とし自分達は甘い汁を吸い続けてきた。
結果、我が国は未曽有の少子高齢化、OECD加盟国中最下位を30年にもわたり彷徨い続ける低成長という、世界に類を見ない異例の「先進国」となった。
そして今となっては最早、彼ら自身はこの国の残された最後の富を吸い尽くし、食らいつくし、そのまま寿命まで豊かに逃げ切ることが確定しているのである。
氷河期世代の悲痛
他方で、我々氷河期世代はどうか。
幼少期には、決して我々には生涯手に入らぬバブルの虚栄を見せつけられ
思春期には、団塊ジュニア世代としての厳しい受験競争にさらされ
青年期には、就職氷河期の名の元に採用を絞られ、圧迫面接やブラック企業により社会の歪みを引き受けさせられ
社会に出た頃には、いまだ昭和の旧弊・悪弊の元、臭いオヤジの酒に付き合わされ、不景気の下、昇給も抑えられ
やっとの思いで立身出世が叶おうとする頃には、これまでの年功序列賃金が廃止の憂き目にあい
中年になれば、パワハラだのセクハラだのと年下世代に気を使い、一方で上位にはバブル期に簡単に入社した無能共が巣食い続ける病的企業に疲れ
いずれ、年金を貰う頃になれば、払い始めた時には60歳からもらえるはずだったものが、良くて65歳から、下手をすれば70歳からという国家的詐欺の餌食となる事が確定しているのである。
もはや仕方ない。私一人がわめいてみたところでもはや流れは変えられぬ。
公務員の中途採用者選考試験(就職氷河期世代)などと言うものも一時期話題にはなったが、所詮蜘蛛の糸にもならぬ上、今更救われたとて何になろうか。
もう我々は早くて50代半ば、遅くて40代である。
今まで結婚していなければ今更子供のある結婚は望むべくもないだろうし、蓄財するにも遅すぎて、人並みの収入では老後までに追いつかない。
社会経験が著しく不足していれば、この年になって正社員・正職員として採用されたとしても、年下の30代の脂の乗った働き盛りに今更追いつくことなど普通の能力の者には難しいのが現実であろう。
託す想い
だが、わかってはいるが、どうしても私は許せないのだ。
こんな世代を作り出した者共が。
大したことは出来ないが、せめて文章で綴ろうと思う。
我々は何も持っていない。
我々氷河期世代は、夢も希望も枯れ果て、ただただ不公平、絶望、恨み、妬ましさ、といった負の感情を抱えながら、微かに残る希望を探し求める。
それでも、この状況から抜け出す方法は見つからず、孤独に苦しみ、孤立感を味わう。
夢を持ったことがあったかもしれないが、今ではその残りかすさえも見失っている。
若者たちには、この氷河期世代の苦悩を理解することは難しいだろう。
彼らは、過去のバブルの栄光を知らず、これからも我々とは違う人生を歩むだろうから。
そして、我々の心は傷つき、埋まらぬ傷が次々と積み重なる。
その傷はやがて心を氷のように冷たくする。
終わりなき嘆きの中で、私たちは未来に対する恐怖と不安を抱えながら生きていく。
それでも、何かを変える力はなく、ただ時が過ぎるのを待つだけだ。これが、我々氷河期世代の運命なのかもしれない。
だが、せめてこの文章を通して、氷河期世代の私の怨嗟を届けたいと思う。我々はもう救われることはないかもしれないが、それでも、少なくとも誰かが私の苦悩を知ることで、氷河期世代の私の思いと記録を残したい。
大したことは出来ないが、せめて文章で綴ろうと思う。 氷河期世代の積怨を。 私の積怨を。