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[一語一会 #12] 歯槽膿漏

Quality of Life (QoL)は何から成っているのだろう.
WHOの定義もあるし,WHOから各個人におけるQoLの尺度も公表されているから,それを見れば済むのかもしれないが,現実問題と向き合ったときにそれだけでどうにかなるとも思われないのが本音である.

口腔の問題は,現実におけるQoLに大きくかかわっていると考えている.
何故なら,特にある程度発展している国にはなるが,収入も一定程度ある人にとって,その人生において食べるということがもたらす豊かさは,(もちろん全員ではないにせよ)目を見張るものがあると思うからだ.
タイトルにある歯槽膿漏は,歯周病といわれるもののうち,症状が重いものを指しているようだが(正確な定義は検索等でご参照いただきたい),やはりそういう病気で食べることに苦痛をきたしたり,それによって食べることが嫌いになってしまったりしたら,人生の楽しみが減る…という人も多いのではないだろうか.

一方で,私は近年はお口の問題を軽視していることもまたしかりである.
私は歯並びが悪いし,大人の歯が一本欠けているから,本当は矯正をした方が虫歯や歯周病になりにくいし,さらには笑ったときなどの口の印象が多少はよくなるはずなのだ.(ちなみに,大人の歯が一本ない,というのは,それがそもそも存在しておらず,子どもの歯がまだ抜けていないので,それで普通の人の歯の本数自体はそろっている,ということである)

しかし,(確か)中学生の時,両親にすでにかなりお金をかけてもらっていた歯科矯正を,すでに始めていた時ではあったが,自分の「意志」だ,自己決定だ,として拒否してしまったのだ.理由は主に学校生活が忙しい,歯医者に定期的に通うことが億劫だということだったと記憶している.

大人になって後悔するぞと言われたような気もしているが(間違いだったらすみません),自分のその時の気持ちを尊重してくれた両親には感謝しているし,今の私自身を形作ってきたことは違いないから,その時の判断自体を後悔しているつもりもない.
ただ,実際に自分で諸所の情報に触れるなかでも,歯の大切さが次第にわかってきたところでもあり,見た目の問題というよりも自分の人生のために,今後お金をためて残っている矯正を進めたい,そうでなくても,ある程度定期的に歯医者さんにお世話になりたい,という気持ちを最近は持っている.(もちろん若いころに辞めた矯正をそのまま次もするとは限らないわけではあるが.)

もちろん今の世界には,食べることそのものに精一杯で,まだそのような,いわば追加的な処置をすることを考えることもできないという人が多くいることは承知しているつもりだし,また,一昔前でもこのようなことはしていなかったのだろうから,本来はする必要がないことである,せずに何らかの影響を受けてもそれが人生である,と考えられるという可能性も十分あるとは思う.

だが,やはり私は自分が大切だしQoL高く生きたいなと思う.だから,幸運にも金銭に恵まれた暁には,そのような自分を磨き,保つところにお金を使ってみようかなと思っている.


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