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[一語一会 #36] 経済学

科学だなと思う.

ただ,専門家でも何でもないので,以下には誤りも含むだろうが,その辺は大目に見ていただきたい.

基礎で言えば,マクロ経済学,ミクロ経済学という分類がよくみられるだろうし,応用すると様々な領域があるとは承知しているが,行動経済学が有名どころだろう.また,複雑系経済学という領域もあるようで,以前そのような本を読んだことがある.なにはともあれ人間が存在すると夢想している経済に関する学問だ(批判する意図のワーディングではない).

どれにしても,「経済」を完全に予測することはできない.
でも逆にそれが数式の醍醐味でもあるし,科学の醍醐味だと思う.
科学だなと思うわけだ.

その面白さはいわゆるオッカムのカミソリの考え方の中ある.
いかにシンプルにかつ近くまで到達できるか.

ある程度複雑な式・理論にすればそれなりに近いところまで行けるということも多い.しかし,例えば機械学習的な世界では(もちろん各種統計分析を含む),複雑なものを作って多くのデータで学習を進めると過学習となって,予測能力(つまり道のデータへの適合性)に問題が起こるということも出てくる.同様に,複雑な理論というのはそういう面が出てくる.
しかし,シンプル過ぎると現実のデータとの誤差が大きくなって,逆に利用する意味がなくなる.
この塩梅にこそ,科学をやる理由がある(敢えて学問とは言わない.学問としての経済学はおそらく別の論が必要だろう).

そして,今,経済学と神経科学をはじめとした生命科学,そして心理学が融合していく方向にある.不確実性下での判断や,人間の非合理性が,それらの結合によりどんどんわかるようになって,それこそ人間としての経済が明らかになりつつあるところだ.

それがいわゆるWeb2.0の世界と結びつくと,私たちはプラットフォームの(経済的)コントロール下に置かれていくかもしれない.その経済「学」を援用して,ウェアラブル端末から得た私たちの生体情報と機械学習なども使って,その人の経済学をプラットフォームの経済学の元におくのだ.

そうして私たちは気づかないうちにメタバースに入っていく.自分が好きなもの,欲しいもの,買いたいものはこれだと,見方によっては知らないうちに信じ込まされて,でもそれが現実そのものとなる.そんな世界は嫌だろうか,ディストピアなのだろうか.

あるウェビナーで印象に残ったのが,ディストピアがどんなものかを決めるのはその時々の人々の価値観でしかなく,将来的に何がディストピアなのかはわからないはずだよね,という論だった.間違いない.
だからこそ,自分で,自分たちの「ユートピア」の形を定義していきたいし,それを考えるなかでは,これまで見てきたメタバース的ディストピアと思われることもある世界観に対して私はまだ中立な立場でいようと思っている.

その中で,やはり経済学に立ち戻って,自分たち自身を知るという意味でも注目をして,よりよい社会,「ユートピア」につなげていきたいものだなぁと,今は考えているところだ.

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