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[一語一会 #28] 蹲踞

読めん.

私が読んできたものに,出てきた覚えがないのである.しかも,それで読み方を調べて,二通りあるということで,二度驚いた.

まずは,「そんきょ」,「そんこ」という方だ.一般にはうずくまった姿勢を表すそうだが,相撲などの武道においては,膝を開き,腰を落として,上体はピンと伸ばした姿勢を示すという.ややこしい.

次に,「つくばい」だ.よく日本庭園に置かれている手水鉢(これは読めた)を指すようだ.特に,茶室に入る前に手を清めるためのものであるらしい.

今日も一つ学びを得たわけだが,それをどうしたらよいだろうか.
ひとまず,これらは割と日本文化に根付いたものだと思われるし,最近興味を持っているところではあるので,今後深めるきっかけに出来ればよいとは思ってはいる.

例えば,私は普段ストレッチをして関節を軟らかく保ったり,様々な筋肉を動かすということをしているのだが,蹲踞をするためには,様々な筋肉がいるようなので,正しい型を動画などで学びながら,それに取り入れることもできるかもしれない.
また,私は日本の古都に住んでいるし,たまにいわゆる観光地の寺社仏閣に立ち寄ったりするので,そのようなときに改めて蹲踞を眺めて思いを馳せてみることもできるかもしれない.あとは,今後一度は茶席にお邪魔したいとぼんやり思っているのだが,作法がさっぱりわからないので,予習はどこかでできればいいなと思っているが,もしかしたら蹲踞もその一つにあるかもしれないので,その心の準備はすることができたと思う.

蹲踞(そんきょ)は日本文化のものであるとは限らないかもしれないが,総じて私たち日本人はもっと自分の国の文化を学び,それを活かしたビジネスを,観光産業以外にも展開していく必要があるかもしれない.
どうこう言っても資本主義が世界を席巻している以上はカネの時代であり,そのためにはビジネスは欠かせないものだ.しかし,情報系分野をはじめ諸方面で諸外国に後れを取りはじめている現状で,カネを生み出せるような産業に乗り遅れないようにすることは重要だし,そこに世界からも注目される部分のある日本的な思想を活かして世界に打って出る発想が必要だと思う.それが観光だけではうまくいかないことは,このパンデミックが証明してくれたところではないだろうか.
日本人としても,世界の舞台で闘いたい一人としても,日本に,そしてその古都に生まれてよかったと思うし,もっと吸収したいと考えているところだ.

しかし,改めて日本語の豊かさが感じられるものだ.
同じ文字で複数の読み方(どちらかというと意味か)を持つという体系の言語はそれほど多くないらしい.例えば,(ローマ字であれアラビア語その他であれ)アルファベットはきちんとつづられてはじめてその意味を生じるものだ.

言語的遠さは時として世界で闘う上で,難しい面が多く残るものの,言葉の豊かさは心の,概念の豊かさにつながっている可能性が高い.だからこそ,日本の概念とものを,言葉と合わせて,感じ理解して,自身や生み出すものに実装できるよう努めたいと思っている.

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