[一語一会 #9] デコレーション
一番苦手なやつ.いや,一番は言い過ぎかもしれないが,どうもセンスとモチベーションがないもので,例えば手紙とか筆箱とか身の回りのものをデコる(デコレーションするの略)のはあまり性分ではない.
もう少し具体的に言うと,基本的にはシンプルで素晴らしいと感じる,ないし心にグッとくる,スッと届くものに価値を感じる.だから,自分で発表用のスライドや文書を作るときもできるだけ要らない枠取りをしないようにしたり,図をむやみやたらに貼り付けたりしないように気を付けているところがある.(”デザイン”は目的を持った活動である以上,自明といえば自明なのだが.)
こんな感じなので,「デコレーション」というテーマでこれ以上語ることはない.
と,割り切ってしまうのもよいのだろうけれど,もう一点だけお付き合いいただきたくことにしたい.
前述の事柄と矛盾しているようだが,考えていると,自分の心をデコレーションすることは好きなのではないか,という考えに至った.
例えば,私はよく嘘をつく方だと思う.誰かにも,自分にも.
そうやってついた嘘は,その時その場面においては自分自身そのものに他ならないのだけれども,そこ(ないしその人)から離れたときに,それは別人格のものになる.もちろん,また戻っていくこともある.
人間そうやって生きていくもの,と言われればそうかもしれないが,厳密に言えば,少なくとも私は多重性を生きているのだと思う.いわば,自分の心をときの利己に任せてデコレーション・アレンジして相手にも自分にも見せているということだ.
また,これは嘘の話と表裏一体だと考えれば腑に落ちやすいと思うのだが,私はちゃんと練習すればきっちり演技ができる方だと思う.全くプロではないので,自慢するつもりは毛頭ないのだけれど,高校の時の演劇でもなんやかんや大事な役を務めさせてもらったり,それで最終学年には俳優賞(?)のようなものをもらったりしていたし,もう少し嘘に絡めた例で言うと,ある程度相手に合わせて「いい顔」をすることは得意だと思う.要は八方美人で,まさにデコレーション・アレンジじゃないだろうか.
こうして考えていくと,自分という存在がいかに小さく,ふわふわとしたものであるかということが分かると思う.小さいから,デコレーションによっていろんな形になるし,ふわふわしているからアレンジもしやすい.
せっかく,デザインということを(ほんの)少しはかじった身なのだから,そして,シンプルが好きな人間なのだから,自分という存在についてももう少し軸(換言すれば目的とも)をもって,それを貫いてみた方がいいかもしれないなと思った次第である.
さて,お気づきかもしれないが,この文章はオノマトペが随所に出てくるなど,ふわっとしていて(模糊とでも言えばよいのだろうか)微妙に伝わり切らないところがあると思う.
少しデコレーションが過ぎたかもしれない,ということで,自分の心もそこから流れ出る文章ももう少し「デザイン」的な思考で創り出してみよう,シンプルを目指してみよう,という今後への戒めを刻んでおくこととする.
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