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[一語一会 #22] 破廉恥罪

大学の授業やニュースで,近年の科学技術発展の状況や世界の端々で起こっていることなどを知るにつれて,倫理の難しさを感じる場面が増えたように思う.

素人の立場で申し訳ないところだが,カントの言っている道徳を簡単に表すのが定言命法と仮言命法の違いであるということは教養の講義で学んだところだ.つまり,何かの仮定があったうえで,それを理由に行動をしよう,という形の仮言命法によって語られるものは道徳的とならず,仮定がなく重要だから自発的に行うという形の定言命法によって語れられるものが道徳的であるということだ.

例えば,仮言命法として,「人を殺したら法律によって裁かれるから,人を殺してはならない」ということを言ったら,では法律がなかったとしたらあなたは人を殺すのか,ということになって,常識的に考えても道徳的とは言えないだろう.一方で,定言命法として「人を殺してはならない」ということを言えば,何も条件なく成立するということで,それは道徳的であると考えられるわけだ.

もちろんこのような考え方に対する批判は,学術的にも実際上でも起こってくるところなのだろうが,この講義は最後までは取らなかったので,この点については今後深めていきたいと考えているところである.

さて,法的にはもちろん,そもそも道徳的にも許されないとみなされているのが,破廉恥罪であるから,ここのところで言えば,ロシアによるウクライナ侵攻もその例として数えることができるのではないだろうか.
ロシアが今回の戦争を始めた言い分というのは,仮言命法にあふれているから,(カントの真意ではないかもしれないが,)それは道徳的でないと言っていいだろう.逆に言えば,国家ひいてはそのリーダーとしては,何が何でも戦争をしないというのが本当の道徳・倫理といえるのではないか.
だからこそ,種々のコメンテーターや専門家もこの侵攻・戦争が許されるものではないという点では少なくとも一致しているような様相を見せているのだと,私が見ている範囲では考えているところである.

また,道徳に関連して言うと,科学技術,特に情報技術と生命科学の発展・利用に関する状況が刻一刻と変わってきているのも憂慮すべき点だということを,ハラリがよく述べている.ハラリ大先生の講演を聞いていると,技術者にこそ道徳・倫理を学んでもらい,例えば彼らが作るアルゴリズムには倫理的な配慮がされるべきだということを何度か耳にした.
このように考えていると,比較的と悲観的な立場に立った将来予想として,今後,人としての道徳において「破廉恥罪」とされていることが,果たして機械に適用できるのか,通用しなくなるのではないか,という懸念が出てくるわけだ.だからこそ,まずは,それを作る人の倫理観が問われる,という趣旨だったと思う.

「倫理」が通用しないリーダーの出現や,技術の進歩によって,科学としての倫理も刷新されていくのだろうし,私たちも人間としてその理解の努力をたゆまぬようにしたいところである.

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