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自己紹介などつらつらと

毎度、実家の熊本に帰るたびに母親と酒などを飲み下しながら深夜まで話し込むことが多いのだが、2025年正月の帰省時に、案の定夜更けまで飲み続けた終わりに「あなたは宇宙人よ!」と産みの母親から連呼された。
本人もだいぶ酔っぱらっていたし、周りの友人からもあんたのお母さんは変わっているねとか言われるけど、その張本人から宇宙人と言われたきっかけはインドへの3度目の旅を決したことに対してである。

バックパッカー出来損ない

学生時代、バックパッカーに憧れていた。特に何も目的もなく海に漂う海藻のように、風に流される木の葉のように、ただその土地の空気に揉みに揉まれ、着地しては沈殿する。そんな旅に憧れていた。

熊本の地に生まれ、大学時代は京都で過ごし、卒業したら流浪の民として全国各地を転々としながら生活するんだろうな、というのは妄想の世界で、かれこれ15年ほど東京・阿佐ヶ谷に住み着いている。

京都の学生時代、ふとしたきっかけで入ったジャズ研究会。全くジャズの知識も経験もない中、なんとなく母親がピアノ教室の先生だったのでとりあえずピアノ志望です。と嘯いて入部した。
音楽ということで文科系な匂いが漂う部員が多い中で一際異彩を放っていたのは、東京都柔道大会に上位入賞するほどの力量のある体育会よろしくの在校9年目の先輩。(その当時は確か留年・休学含めて9年までが限度だった)
時に思い切り拳骨で殴られ、致死量のお酒を浴びせられ、恒常的なパワハラとアルハラが続いていたが、人間味と野生味溢れる姿が憎めず、(むしろ尊敬の念を抱いてた)その先輩が大好きだった。数々のパンチとショットの間に聞くバックパッカー話、特にインドの話が大好きだった。
その話を書き連ねると膨大なページ数が必要になるのでここでは割愛するが、そんな先輩に影響を受けて2009年にはじめてのインドに渡ることになる。バックパッカーの夢は叶わなかったがインドに呼ばれた気がした。


はじめてのインド

大学3年生の2月にはじめてのインドに行った。
絵にかいたような騙され方…ニューデリー空港から出るや否や「メトロは工事中で使えない!どこへも移動できない!このリキシャ―に乗るしかない!」の、勢いに乗せられ、行きついたのは観光客一人も歩いていない街角のツアー会社。頼んでもないツアーを無理やりブッキングされそうになるが、ここがどこかも分からず、観光客1人も歩いてない片田舎の雑居ビル。そんな状況では断ることもできず、定番のアーグラーやジャイプルサールなどを巡るプライベートドライバー付きのツアー2泊3日の旅。最終日にはプライベートドライバーとチップ金額で揉めて首を絞められそうになる。
そんな出だしからようやく、バラナシへ移動して一人旅が始まった。旅の目的は毎年2月に行われるインド全土で華やかかつ賑やかなお祭り「ホーリー」。
そこでは日本人や中国人の旅の仲間も見つかりすごく安定した楽しい日々が続いた。彼らは今どうして過ごしているのかな。この度の思い出の詳細はまたアップデートしてお届けしたい。


ここらで唐突ですが自己紹介

1987年熊本生まれ、大学は先述した通り京都で4年間過ごし、2010年に東京・阿佐ヶ谷へ状況し今に至る。
職業的には点々と、広告代理店→映画チャンネル→ITメディア→現在は映像・イベント制作会社でPRの仕事に勤しみ、そんな仕事の合間にバックパッカーの憧れを捨てきれず、国内では沖縄ヒッチハイクの旅をはじめ、海外ではで主に中南米(メキシコ、ブラジル、キューバ)をはじめ台湾、韓国、タイ、スペイン、などに短期旅行してきた。

プライベートでは音楽活動として、「チャッキーズ」というバルカン(東欧)ジプシー音楽を中心としたバンドでアコーディオンを弾いており、朝霧JAMなどにも出演したのはよき思い出。
音楽、映画、文学、酒、飯、とにかくローカルからグローバルまで文化的交流が大好きなタイプだとは思っている。

そんなゆるゆるジプシー生活を過ごしている中でITメディア時代に運命的な友人との出会いがあった。

二度目のインドは何処へ?

社会人3社目のITメディアで同期となったリキ。
彼は僕の面接官であり、これから新たなビジネスを開拓していく同士だと、本人からの熱烈オファーもあって入社した訳だが、本人は僕が入社して僅か3日で転職してしまった。
普通だったら「約束と違うだろ!」と激怒したくなるかもしれないが、風に身を任せ揺蕩うようなひょうひょうとしたキャラクターが憎めなかった。
そんな彼は学生時代世界一周したバックパッカー。アジア、ヨーロッパ、アフリカ大陸、そしてインドまで、そりゃあ好きになる訳だ。在職期間はたったの3日間。一方でお互い杉並区在住とのことで毎日のように飲んでいたが、その勢いのまま気づいたら二人でゴアにいた。2019年~2020年にかけての年越しのタイミング。裏ではコロナの脅威が迫っているとは露知らず本当にアホみたいに遊んだ。
この時は、何万人というインド人が寝そべるビーチサイドで行お互い方不明になりかけたり、ガ●ジャハウスで偽警察官に掴まされそうになったり、トラブルも多数あったが、また思い出日記は後日書き連ねたいと思う。

三度目の正直:クンブメーラ2025へ

今この記事を書いているのは、クンブメーラの旅へ出発する2月20日から遡り、時は2月6日のちょうど2週間前。
お互い、3度目のインド旅。これから一生であと何回行けるか分からない時に、クンブメーラのことを知った。12年に一度、次のタイミングを待つとお互い50歳ほどになっている。今、30代のこのときに感じるクンブメーラ。インドの匂い、人々の息、街の鼓動、全ての今を感じ取るためには行くしかないと意気込んだクシとリキ。
初めてクンブメーラについて話した時から、既にクンブメーラへのカウントダウンは始まっていたのだ。

また現地で執筆続けて参ります!

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