無職が長引いた訳(過去の話)
さて、前回「人間にとって、自由を純粋に楽しめるのは3ヵ月まで」と結論を出しました。
その期間内であれば、これまでできなかったこと、やりたかったこと、
新たなことに挑戦するなど前向きでいられるのですが。
それを過ぎてくると、唐突にやってくる「苦しみ」。
それが今、まさにその時です。
これは、以前の無職期間でも体験したもの。
最初はいいんですよ、やりたいことができるから。
でも、次第にネタが尽き始めます。
そして、「いつまでこのままでいればいいんだろう・・・」と思い、
せめてなにか勉強でも、と思ってネットを見てしまうと、
「一度空白のできた職歴だと採用されない」
「いくら資格を取っても無駄」
「経験がないと雇ってくれない」
という、無情な言葉に打ちのめされる。
せっかく進もうと思った気持ちも、そこで萎えてしまうのです。
確かにそういう情報の全てが、まったくのデマではないでしょう。
しかしだ、人には、その時に適した情報というものがあるのだよ。
少なくとも、何かやろうと気持ちが芽生えた時に必要な情報はそれではなかった。
そういう情報を見て引っ込んでしまう人間は、そもそも誰もが書き込めるネットなんて見ない方がいい。
それで落ち込んで、ヤケになったのが過去の自分です。
「どうせ、何をやっても無駄」という思考になれば、もう生きることに対して前向きにはなれません。
人の思考なんて、簡単に毒される。
洗脳って、簡単にできるものです。
当時24歳。
今思うと、すげぇ若いんだわ。
せっかくの貴重な20代の半ばを、そんなことのせいでドブに放り投げた私がいました。
そうやっている内に、誰かのせいにしたくなるのです。
こうなったのは、親のせいだと。
実際、新卒で働けなかったのは、内定が出た所に親が意見してきたっていう事情もあり。
多分、そこもずっと恨みとして表現されずに残ってたのだと思います。
ちゃんと処理しとかないと、後になって何倍にもなって出てくるのです。
その後は、家で大暴れしたり、謎の踵の痛みで歩行困難になったり、両手が腱鞘炎になってお箸も持てなくなったりと。
踏んだり蹴ったりな時期が続いたのもあって。
(そういや、その期間に救急車で運ばれたこともあったわ)
結局、全てが終わるまで1000日間は要したということです。
もちろんその間に、こんな自分をどうにかしようと色々模索もしました。
話を聞いてくれる人のところに月一で通ったり。ランニングを始めたり。
ま、それでも時間はかかった方でしょう。
そういう経験から、やっぱり3ヵ月くらいがいいのかなという計算です。
主婦(夫)であるとか、自分にしかできない役割があるとかなら別ですが。
その当時、結局心の中の多くを占めていたのが、「今更どうしていいか分からない」という苦悩。
時間が延びれば延びるほど何もできなかった自分を責め、そんな後ろめたさがあるからこそ、それを改めて他人に突っ込まれるのが怖くて、何もできないままでした。
この苦しみは、そう分かるまい。
分かられて、たまるか。
ま、今でこそ、いい思い出です。
でも、楽しいはずの20代を無駄にした事実は消えません。
(だからなのか、元からそういう運命だったのか、20代はパッとしない、いいことがあんまりない人生だったと手相家さんに言われました。
もちろん、過去のことは何も言っていない。
つまり、そういう経験をすることが私の人生においては必要だったということだと前向きに解釈してます)
ま、そういう冬の時期は誰にだってある。
季節が巡るのと同じで。
だから今、また冬が来てるんですわ。。
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