【連載・アカツキ文庫】ままならないことはままならないまま
我が家はテレビを置いていなくてラジオ生活をしているということは、何度も話しちゃってると思う。
スマホにradikoというアプリを入れて聴いているんだけど、リアルタイムで聴くには夜が深すぎる芸人さんのラジオなども聴いているので、毎日好きな時間に好きな番組の先週回を再生するっていう聴き方をしているんだよね。邪道な感じはするんだけど、月曜は空気階段(芸人)とたなかみさき(イラストレーター)、火曜は松重豊(俳優)と燃え殻(作家)、水曜はオズワルド(芸人)と松居大悟(映画監督)…と一日に2~4番組、毎週12~14番組ぐらい聴いていて、それでなんとか心の健康を保ってます。
この前の日曜も散らかった家を片しながら、その前週の日曜に放送していたTBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」を聴いてた。
ゲストコーナーに歌手のJUJUが出演していて、安住さんのむちゃぶりに応えて「どんな曲も『ままならない感じ』で歌うことができる」という特技を披露してた。
童謡の「大きな栗の木の下で」を「ままならない感じ」で、つまり切なく儚く、この先何が起こるかわからないという不安や絶望を内包しているような声でリバーブましましで歌ったんだけど、その後にリスナーから「JUJUさんのままならない歌唱を聴いた2歳の息子が泣きだしました」っていうメールが来てた。
JUJU、そんなつもりはなかったって慌てて謝ってた笑
11月はプライベートと出張で隔週で上京して家を空けないといけなくて、戻ってきてもイベントがあったりして、気づいたら1ヶ月終わってしまっていた。
ありがたいことに広い家を借りているので毎週金曜日の夜と土曜日の午前を使ってごきげんに掃除しているんだけど、11月はそのルーティーンが全然できなくて困ったんだよね…。
平日の夜はなかなか退勤できなくて商店の閉店時間に間に合わず、夕飯に何か作りたくても冷蔵庫の中にはスパゲッティーと茄子(今年は豊作で夏からとれ続けてた)しかないみたいな1ヶ月だった。
散らかっていく机の上、うすく埃が積もり始めたベッドの下、そしてどんなに眺めてもメニューが浮かばないちぐはぐな在庫食品たち。
ご飯にさそわれても遊びにさそわれても全然気が乗らなくて、体力切れですみませんとLINE返して早々にコンタクトとってめがねで布団の中で横になる日々。
なんだこの脱力感は。なんなんだこの泥のような日々は。と、思っていた。
でもJUJUのままならない「大きな栗の木の下で」を聴き終えたら、この状況にやっと名前がついた気がした。
そう、ここ1ヶ月ぐらいはまさに「ままならない」時間だったんだ!
ありがとうJUJU。ありがとう日曜天国。ちょっとすっきりした。
泣いても笑っても今年はあと1ヶ月って思って、あれ、子どもの頃は12月って待ちに待って迎えるものだったのにって思う。くそう。やーね。
日々ひいひい言いながらなんとか走っている(まさに師走)今の自分を、子どもの頃の自分が見たらどう思うだろう。
どうしようもない日々を終えるには何か決定打が必要だって思って悶々としてたけど、それって案外自分の中にあるのかもなーとか思う。
過去の自分からの評価について考える方が、どんな大人に説教されるよりも強い強い効果があるかもしれない…。
お説教がなぜか白々しいのは、内容というより講釈を垂れる人物に納得ができないのかもしれない。
成果物の裏にある努力や逡巡を想像する気もない上司に「こんなもんなのか?」って言われるより、ちびだった頃の自分に「え、そんなもんなの?」って言われた方が稲妻落ちるな。グサグサ来るね…(嗚咽)。
ままならない日々でもそれをちゃんと咀嚼できればままならないことはままならないままで認められそうなのに、毎日が目まぐるしすぎて余裕がなくて、自分がどういう状態なのかすら見失ってしまうんだよな。
…重症だね?笑
ままならない日々にままならないと名前がついた状態で過ごす2023年、あと2週間。
釈然としないことや悶々とすることのひとつずつを「ままならないわ」と噛んで飲み下せたら、何か変わるだろうか…?
だいぶ遠回りした感は否めないけど、ちょっと意識して過ごしてみようかな。
そうそう、この文章、実は2週間前には完成させようと思ってたんだけど、書いて立ち止まって書いて立ち止まって…ってしていたら時間経っちゃったんです。
嗚呼、ままならない。