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たまには良い話をするか


貴方の一番古い記憶はなんですか


私は「乗り物の席に座り、紫色の炭酸飲料…恐らくファンタグレープを飲んでいる記憶」です。窓からは空が見え、隣に貴方が座っていました。貴方は私に「炭酸大丈夫なの?もう大人だね」という旨の発言をし、私はふんすっと鼻を鳴らしながらドヤ顔をしていたのでしょう。

祖母に伝えた所「よく覚えているな」と少し泣きそうになっていました。私が3歳の頃の出来事だったそうです。入院していた貴方が久々に外出を許された日で、松島のフェリーに乗って、私は人生で初めて炭酸ジュースを飲んだと。

次に覚えているのは、病院のベットで寝ている貴方を起こそうとした記憶です。知らない人が何人も居て、貴方は寝ていたので起こそうとしました。お客さんきてるよ、起きて、と。


祖母に制止されたこと、貴方の顔に布が乗っていたことは覚えています。


祖母に確認した所、泣きながら頷いていたので恐らく事実だったのでしょう。


貴方は殆ど病院に居て、家で貴方と過ごした記憶がありません。病院は、貴方に会う場所だと思っていました。3歳の私に病院は退屈なので、一緒に外で遊ぼうとゴネて、父が面倒くさそうに注意していたそうですね。あまり覚えていません。


中学生時代、課題の途中でノートを使い切ってしまい、貧乏性の私は余っているノートがないか自宅を漁っていました。半分までしか使っていないノートを見つけ、勿体無いから使おうと思い開くと、貴方が入院してからつけていた闘病日記の最終巻でした。



母上、いや、母ちゃん?当時なんと呼んでいたかわかりませんが、貴方が最期に書いたノートを読みました。すみません。そして人生でこれ以上泣くことはないだろう、というくらい泣きました。


身内に見られると気恥ずかしいので、noteに書きます。便利な時代になりました。


母へ


いくら息子とは言え、個人の日記を読むのは申し訳ないと思いつつ、貴方の闘病日記を読んでしまいました。ごめんなさい。

日記はもっと暗い内容かと思いましたが、当時の女子大生が書くような、キャピキャピとした明るい文体でしたね。病院の〇〇先生がイケメンだとか、先生が勧めてくれた本(大地の子)が面白いとか、自身の病気についてとか。病気に恐怖するのではなく、正しい知識を整理し向き合おうとする姿勢、とても貴方らしいと思います。

貴方は癌で死んだと聞いていましたが、正確には骨肉腫、骨にできる珍しい癌だったそうですね。当時治療方法は無いとされていて、貴方も同様だった。転移が全身に見られ、切除してもすぐ新たな癌が発生し、皆絶望していたと。


それでも貴方は「諦めても仕方ないので、医学の進歩を願いつつ、余命で自分に何ができるか、何をすべきかを考えよう」と記し、日記を書き続けましたね。

貴方の夫…私にとっては父についても書かれていました。テンションの低いガテン系の高田純二のような父なので、いつもテキトーで貴方との話は教えてくれませんし、馴れ初め等も想像できずにいました。

しかし、父は貴方との話を引き延ばして病院から帰ろうとしないとか、遊びに行きたがる私を変な嘘で騙しつつ貴方と一緒にいようとしたとか、貴方をちゃんと愛していたんだなと読み取れて少し安心しました。

そして私についても書いていました。「前は私に懐いていたのに、すっかりお父さんに懐いちゃって少し寂しい。私も元気になって一緒に遊ぶぞ」とか「ぷくぷくと太ってかわいいので、オーバーオールが似合いそう。デザインしてみようかな」とか「ハローマックが大好きで、靴流通センターと形が似ているのはなんでだと疑問に持っていた。視点が面白い」等


ページを捲ると、本格的な衣装のデザイン画と素材や手順を加筆した設計図。私に着せたかったであろうオーバーオールのデザインもありました。こんな技術もあったんですね。



さらにページを捲ると、突然真っ白なページになりました。


几帳面な貴方が、何の記載も無く日記を辞めたとは思えません。死ぬ間際まで、日記を書いていたんですね。死期を予感させるような内容は一切ありませんでした。


貴方にとっても突然だったのかもしれませんが、最期のページが、息子に着せる予定の服のデザイン画だなんて。

もっと家族へのメッセージとか、死ぬのが怖いとか、色々あったでしょうに。でも貴方はこの世に何か残そうと思ったのでしょう。根拠はありません、息子の勘です。もっと嘆いて良かったはずなのに、闘病日記にはそれがありませんでした。




祖母から、娘…貴方はとても優秀だったとよく聞かされていました。教えていないのに勉強も料理もよくできて、優しくて人望があり、同級生からはお母さんと呼ばれ慕われていたと。上位の大学に余裕で合格できるんだから進学しろと勧められたが、早く家にお金を入れたいからと銀行に就職したこと。大人しいけれど拘りはじめると頑固で、学んだことを再現しないと気が済まないこと。習わせたわけじゃないのにピアノを弾けること、とにかく人に優しかったこと…etc


祖母にとって、自慢の娘だったようです。なぜ私からあんなに優秀な子供が産まれたのか分からない、と語っていました。


私は父に似たんでしょうか。申し訳ないですが、性格はどちらにも似ず暗く、人望も能力も低い人間になってしまいました。

似た所といえば、下がったまゆげと、細くて長い指と綺麗な爪…だそうです。その指を活かし、格闘ゲームに人生を捧げています。ピアノをやればよかったでしょうか。それでも私は、狂う程夢中になれるものに出会えて幸福だと思っています。貴方は笑って肯定してくれるでしょう。


ふと考えます。貴方が生きていたら、家族がみんな生きていたら私の人生はどう変わっていただろうかと。実家は売り払わずに済み、自宅のピアノも残せたでしょう。もしかしたら私はピアニストを目指し…挫折し、祖父に弟子入りしてピアノの調律師を目指したかもしれません。収入を貴方に任せ、父と私で気楽な便利屋家業をやっていたかもしれません。生真面目な祖母は私達を叱り、貴方はまぁまぁとなだめたでしょう。


死後の世界があるのか、どういうシステムなのかは分かりませんが、一度でも良いので家族で集合したいです。貴方と、父と、祖母、祖父、貴方の兄、私…。

気がついた時には私は祖母と2人で生活していたので寂しくありませんでしたが、祖母は辛かったと思います。みんな居なくなってしまった。皆珍しい病気で。そんな祖母に、家族を返して欲しかった。死後の世界でそれが叶うなら、1日でいいので覗かせて欲しいです。


母さん、貴方は29歳で亡くなりました。そして私は貴方の年齢を追い抜いてしまいました。流石に早すぎます。


29歳って、社会人としてのチュートリアルが終わって本編が始まって、キャリアがどうとか人生の選択肢が増えている頃です。


母ちゃん、ドラクエでいえばダーマ神殿が解禁されて、上位職や技構成を考えながら本編を進めている面白いタイミングだよ。もったいねぇよ。俺は遊び人みたいなプレイしてるけど、これはこれで面白いよ。


死後のシステムがどうなっているか知らないけど、見守る機能があるなら近況報告はいらないよね。ご覧の有り様だよ。必死に生きているよ。


イタコでもなんでもいいや、返信、いいね、あるいは夢枕に立ってもいいので、たまには反応してください。貴方も私も、互いに良い年になりますように。



それじゃ





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