短編 ハイランダーの少年
「おっさんは、ちんちん舐めたことあるの?」
正面から真っ直ぐに、少年は私を見る。いつもはコロコロと変わる表情が、この日は真剣で、少し悲しそうな目をしていた。
「どうだろうね」
とだけ私は答え、目をそらした。もう中身が入っていない缶コーヒーに口をあて、大きく傾ける。目を合わせないまま、そろそろ帰ると告げてその場を立ち去った。
私はあの日から、何かがおかしくなった気がする。
一章 18:00の案内人
私は所謂ゲーム廃人であり、人生の多くの時間をゲームに費やしてきた。明るい人生とは言い難いが、とても充実している。気が付けば見た目も身体もすっかり中年男性になったが、気持ちは中学生くらいである。
ゲームと呼ばれるものの多くに手を出してきたが、やはりゲームセンターは良い。若い頃はゲーセンに寝泊まりをしたし、恐らく生涯で自宅に居る時間よりもゲーセンで過ごした時間の方が長いであろう。
少年に出会った場所も、ゲームセンターだった。
平日の夜、数人しか居ない薄暗いゲームセンター。安っぽいデザインの缶コーヒーを買い、あたりを見回す。私が学生時代に発売されたゲーム台も現役で稼働しており、古い筐体が並ぶ。実家のような安心感、とはこのことだろう。ゲームセンターはどんどん潰れてしまい、古い筐体は貴重になっている。もはやここは遊べる博物館だ。
いつもの光景とは異なる点が一つあった。中学生くらいの少年が、店員に声をかけられ不服そうに睨みつけている。そのまま何やら会話が始まった。
時刻は間も無く18:00になる。保護者同伴ではない場合、店から出るよう促される。少年も恐らくそれで声をかけられたのだろう。店員としても、大人としても真っ当な対応だ。しかし残念なことに、こちらは真っ当な大人ではない。大袈裟に頭を掻きながら店員へ声をかける。
「あ〜すみません、何かありました?」
店員はすぐにこちらに顔を向ける。
「あっ保護者の方ですか?」
推理が概ね合っていたと仮定し話を合わせる。
「はい〜そうです、すみませんね長居しませんので」
「保護者同伴でも22時までになっていましたので、よろしくお願いします」
店員は少年にも軽く会釈し、ゲーム台の清掃へ戻る。
少年はキョトンとした顔でこちらを見ている。整っているが幼い、可愛らしい顔立ち。白い肌。長めの黒髪。動物で例えるなら、ロップイヤーラビットのような印象。
私は何だか気恥ずかしくなって、独りごちた。
「私は幼少期、居場所が無くてゲーセンに居た。店員からは帰れって言われるんだけど、知らないおじさんから『それ俺のツレ。もうちょっとで帰るんで』って庇ってもらった。なんていうか……もうちょっと居たいんだろ。中学生だと巡回もあるだろうし、遅くなりすぎないようにね」
缶コーヒーを開けながら立ち去ろうとすると、少年が口を開く。
「俺、高校生ですけど」
二章 嘘は優しく
とても気まずい出会いを果たした少年とは、頻繁にゲームセンターで会うようになる。
「あの、この前は…」
2回目は、少年から声をかけてきた。
「えっと…なんて呼べば…」
お互い自己紹介もしていないので、呼び方でまごつく少年。私は即答する。
「サトウヒロトモ。偽名だよ。呼び方はなんでもいいよ。おっさんでもなんでも」
私達の頃は、ゲームセンターでは本名を名乗らなかった。大抵の場合、ゲーム内の名前か、大会のエントリーネームで互いを認識する。10年以上の知り合いでも互いに名前を知らない場合もある。最近では便宜上、偽名を使うようにしている。
えっ何それと反応する少年の表情が少し和らいだ。少年の鞄には白黒のチェック模様、チェス盤のような模様のキーホルダーが付いていた。
私「君は仮に……チェス坊と呼ぼう。チェス強そうな顔してるし。昨日は余計なことしてごめんね」
?「チェス坊はカッコ悪いなぁ。そうだな、じゃあモモタでいいや。サトウさんがやろうとしてたそれ、どんなゲームなの?」
互いの身の上話なんてしない。モモタと偽名を名乗る少年は見慣れない古いゲームに興味を示し、私は我が物顔で内容を語る。元々ゲーム関係は好きだったようで、話の理解が早い。俺もやってみたい!と張り切りだす少年を見守る。
モモタは頭の回転が早く、口がよく回る。次々とゲームをこなしながら、沢山喋った。
モ「俺の家族って警察のお偉いさんだからさ、夜中におっちゃんと遊んでいる姿を見られたら色々揉み消されるかもね。まぁ、嘘なんだけどね!」
モ「おっちゃん、脱衣麻雀してる時の顔怖すぎるから気を付けた方がいいよ。俺怖すぎて通報しちゃったもん」
少年はよく嘘を付く。「まぁ嘘だけどね」が大体オチにくる。それは楽しい嘘であり、相手を、私を楽しませるための嘘だろう。ゲームセンターに通うようになった理由は「なんか今、つまらなくてさ」と語っていた。それは本当のように聞こえたが、嘘なのかしれない。
私も新しい遊びを教えながら、どうでもいい嘘を沢山ついた。「平安京エイリアンは平安時代に流行ったゲームだ」とか「この格ゲーのハメ技はジュラ記からずっとある。三葉虫もやってきた」とか。
少年は「おっちゃんはバカだな〜」と笑いながら、さらに嘘を盛ってくる。私は学生時代に戻ったような、何かに救われているような、豊かな時間を過ごした。
特に待ち合わせをしているわけではなかったが、私はゲームセンターに顔を出して帰るようになった。会えば一緒に遊ぶのが当たり前になった頃、モモタ少年から告げられた。
モ「おっちゃんってさ、話聞いてるとなんかズルいよね。本当のことを言わないし、嘘もつきたがらない。『どうだろうね』ってよく言うの、なんか面白くないしズルいよ。嘘でも何か言えばいいのに」
私「なんだろうね。優しい嘘、が苦手なのかもしれない。君みたいには上手くできないよ」
モ「俺は嘘つきだからね。自分の嘘には責任を持つよ」
談笑しながら、私は心のざらつきを感じた。どうでもいい話をしながら、自問自答をする。なんだ?今自分は、何に気持ちが動いた。
なんとなく、輪郭が見えた。私は少年から「つまらない奴」だと思われたくない。なんともチンケな自尊心だ。
コロコロと表情を変えながら、楽しそうに喋り続ける少年。私の思い過ごしかもしれないが、少年の目だけが普段よりも、僅かに冷たい気がした。
三章 ハイランダー・デッキ
いつものようにゲームセンターに顔を出すと、少年は居なかった。私は小さなソファーに深く腰をかけ、スマートフォンを開く。休憩スペースもある良心的な店だ。
なんとなく色々な遊びをしたくなって、スマホで遊べるカードゲームを再開していた。最近のゲームは凄いなぁ、という認識だったがこのカードゲームも10周年を迎えたらしい。恐ろしい話だ。チラッとゲーム内のニュースを確認したら席を立つつもりでいた。
「おっちゃん、スマホ持ってたんだね。メールしたことがない世代だと思っていたのに」
いつの間にか隣に来ていたモモタが、私のスマホを覗き込んでいた。
私「30代だからね…」
モ「あれだ、じゃあポケベル?の時代だ」
私「もうちょっと新しいかな。学生時代に携帯電話あったから」
モ「え〜大体一緒じゃん。そんなことよりさ、カードゲームもやるんだね」
いつも通りケラケラと笑ったかと思うと、ジーッと私のスマホを見始める。面白味のない、殺風景な待ち受け画面を見られたくなくて、何と無くカードゲームの話を始める。
私「モモタくんは、ハイランダーデッキが合いそうだね」
モ「なにそれ?」
カードゲームは、事前に自分の山札(デッキ)を用意する。自分のデッキの戦術を成立させるため、主要なカードを複数枚入れるのが通常だ。その方が、自分がやりたい動きを成功させる確率が上がるからだ。
一方で、同じカード重複させず1枚ずつしか入れない「ハイランダーデッキ」という存在がある。基本的には挙動が不安定で弱いが、相手からすれば何をしてくるのか戦術を予想しにくく、使っている側も毎回不安定な挙動の手札を乗りこなす面白さがある。ゲームによってはハイランダーであることに強烈なメリットを設けたデッキがあり、私が今触れているカードゲームにも、ハイランダーが大会で結果を残した歴史がある。
ハイランダーは安定して勝つ、強力な戦術を成立させる、という目線ではない。どちらかと言えば挙動が変わる面白さ、先の読めなさ、それらを重視した構成に見える。だが根っこには「自分が楽しみ、その上で勝つ」という信念が必要だ。上手く言葉にできないが、目の前にいる少年がまさにハイランダーデッキのイメージだ。
私は脳内の言葉を噛み砕き、灰汁を飲み込んだ上で伝えた。
モ「ふ〜〜ん?なんかオタクっぽいけど、面白そうじゃん。ちょっとやってみようかな。おっちゃんはなんか小回りが効いて手っ取り早い、面白みの無いデッキが好きそうだね」
人を見る目も正確だ。まさにその通りだった。
私は、心の内を語ることにした。
私「サトウヒロトモは私の同級生で友人だった。少しバカだけど、すごく良いやつだった。格闘ゲームを教えてくれって何度も勝負を挑んできて、一緒に沢山練習した。お人よしで色々な奴に騙されたけど、明るかった。良い奴だったのに、人の悪意で死んだ。あいつと行くゲーセンは楽しかったのに。上手くなっていたのに」
私自身、ただの独り言なのか、モモタに向けていたのか分からないが、言葉が止まらなかった。
私「あいつが優しい嘘をつければ、周りが優しい嘘をついていれば、死なずにすんだかもしれない。でもヒロトモはそれを望まなかっただろう。正直で、真っ直ぐであろうとしていた。俺は優しい嘘は必要だと思っているけど、嘘はつきたくない。中途半端だ。真実を話してつまらない奴だと思われたく無いけど、嘘もつきたくない」
モモタは無表情で、こちらを見ている。
私「前に質問されたやつ、今答えるよ。ちんちんを舐めたことはなかった。でも、それを言ったら俺つまらないなって。だからと言って想像で嘘を語るのも嫌だし、できない。だからそういうお店で舐めてきたよ。感想、言おうか?」
「いや
いいよ、べつに」
そこから先は、よく覚えていない。いつものように喋りながらゲームをした気もするし、一方的に喋っていた気もする。私はなぜか少年の表情を直視できなかった。
モモタは頭が良い。人をよく観察し、楽しませ、自分も楽しもうとしている。こうして様々な遊びに手を出して覚えていくが、恐らく飽きてしまうんだろう。たぶん、彼が本当にやりたいことはここには無い。
今は彼の時間潰しで、近いうちにここから居なくなりそうな気がしていた。私が遊び語ったゲーム台も、既に全てクリアしてしまった。
私が吐くのは優しい嘘ではなく、自分が面倒を避けるための嘘だ。誰かを楽しませようという感覚が無い。少年との決定的な違いだ。私は自分を面白く見せる術は持ち合わせていない。きっと彼を引き止めることもできないだろう。
翌日から、少年と会うことはなかった。
次に少年を見たのは、圧倒的な視聴率と悪名を誇る人気配信番組「コロシアイゲーム」の参加者一覧だった。
完