第69回金盃(SⅡ)
せっかくの南関東重賞なのですっきりとした記事にしたいものだったがプライベートでいろいろあったのでそこら辺も含めて気持ちの整理という意味でも書いていくことにする。
「医師」の世界で組織を抜けることは極めて難しいとされている。スムーズな退職→スムーズな再就職のパターンは基本的には存在しない。私は自分の働いている科を好きになったことは1度もない。1度もないというのは言い過ぎかもしれないが、せいぜい「他の科と比べてマシ」。その程度のものである。
学生の時はたくさんの先輩にお世話になった。勉強会に参加したら美味し夜ご飯に連れて行ってくれ、遅くまで手術助手をしていたら飲みに連れて行ってくれた。研修医になっても定期的に食事に連れて行ってもらった。「研修先では忙しいでしょ?身体壊すなよ?」など気遣ってくれる人もいた。自分1人で外来をするようになったり、手術をするようになったりしたときに必ず誰かがフォローしてくれた。いろいろなことに疑問を持つようになったのは私が少し大人になったのか、時代が変わってしまったのかは分からない。
コロナウイルスの蔓延である。「質を高めるにはまずは量」という考えは未だに変わらない。もっと厳密に言うと「ゆっくりでもいいから最初からこだわる」というのが重要だと思っている。基本的に緊急性のない手術はどんどん延期となり、しまいには外来が閉鎖、専門でもないのに発熱外来をした日もあった。外出する人が減るとその分だけリスクが下がる。市民はケガもしなくなり、少しは健康になったのかもしれない。異動先、その次の異動先でコロナウイルスが収束することはなく、どんどん症例は減っていった。
手術が綺麗に成功したとき(汚く成功したことなんてないが)、なかでも綺麗に成功したとき、かつ早く終わらせることが出来たときに飲むビールの味は今でも覚えている。というより忘れられない。足場を自分で崩しておきながらわずかな指の力でなんとか崖にすがっている自分が、唯一心残りと思っている。「もっと手術がうまくなりたかった」「もっときれいに出来るはずだ」。この気持ちは消えてしまった。頑張れば頑張るほど自分がきつくなるだけだと気づいたからだ。
「手術がやりたいです」という学生や研修医のことは正直軽蔑している。手術自体は君がやりたいかどうかを決めるわけではなく、患者さんが主体的に決めるもの。必要な手術を必要なタイミングで出来る外科医というのが理想的な外科医だ。そのことを意識していない外科医が多すぎる。「質より量」の「量」の部分を勘違いしている。自分がメスを握る機会は2度と訪れないが、なにか流れが変わったときにはこのことを忘れないでおきたい。
キラキラした才能のある若手を積極的に勧誘が出来なくなった組織は自然と終焉を迎える。世代交代が失敗するともちろん組織は消滅する。才能にあふれる若者を「麒麟児」と呼ぶらしい。キリンジに自分を重ねて応援してみようと思う。