祖母の愛と悲しいブルース
ご機嫌いかがでしょうか?
videobrother山田でございます。
30を越えた時点からなんだか体の調子がうんと悪い日があったりする。
悲しくも精神年齢は幼いままであれど肉体がどんどんアダルトになってきたのだ。
人生が折り返した今、日々摂取するものを気を付けてみたり、運動をしたりと何かとやることが多いようだ。
私はさておき、私の親や祖父母、親族は昔から健康に対して凄く関心が高く、みんながそれぞれが志向の違う「健康への取り組み」を幼い頃の私にぶん投げて来たのを思い出す。
私は小学生の頃まで小児喘息だった為、小太りの癖にあまり外出をしない厄介な子供であった。
そんな厄介な孫に対しても祖母の愛は深い。
祖母は体の弱い私に毎晩背中に湿布を張ってくれたのだ。
その湿布は祖母のオリジナルブレンド。
鮒という淡水魚を黒々と焼き焦がし、粉末にしたものに様々な薬剤を添付してペースト状にした大変ロマンチックな逸品だ。
香りを表現するならば、腐った魚と生ゴミとヘドロを弱火でコトコト煮込んだものを日当たりの悪い場所に何年も放置したような…、そんな香りだ。
祖母はそれを薄っすい薄っすいガーゼで挟んだものを毎晩私の背中に張るのだ。
当時の私は幼いながらも祖母の海より深い愛情を無下にはできず、毎晩ゲボが出そうな異常な臭気と戦っていたのだ。
私が喘息を拗らせたのはおそらくこの湿布がもつ本来の効果が正確に発揮された為だ。
そんなある日、私は前日の湿布を剥がし忘れて登校した。
日々の厳しいトレーニングによって私の鼻はすっかり馬鹿になっており、毒湿布を剥がし忘れていることに全く気がつかなかったのである。
事件は体育の授業の後、起こるべくして起こった。
体育で豚汁(汗)を沢山かいた為、乾燥してきていた湿布に再び水分が戻ったのだ。
「くせぇ!」
子供は素直だ。
フィルターを通さない言の葉が教室に飛び交う。
その時初めて私が臭気の当事者であることを思い出した。
既にその時、私の背中からお尻にかけてその黒い汚水は広がっており、短パンもグズグズなってその異常な臭気はクラス全体を騒然とさせるものだった。
「のぶがくせぇ!(私)」
バレるのも当然早い。
私は丹念にクラス全員からディスられ、先生が仲裁に入って保健室に連れて行かれることになった。
先生は泣いている私の肩を優しく抱いて慰めてくれていたが、教え子から発せられる異常な臭気に耐えかねて鼻を腕で抑えていた。
そんな事件があった事を私は家族には話さなかった。
祖母がショックを受けるのではという懸念があったためだ。
かくして私はその後も祖母の愛に育まれ ながら、毎晩その愛の結晶を背中に背負っていたのであった。
叔母編はまた今度ここに書こう。
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