見出し画像

岩崎風水 -獄中からの表現-

画像1

「春夏秋冬」(2011.2.1制作)

 通称「ビックリ箱」と呼ばれる部屋を描いた絵画。「ビックリ箱」とは刑務所用語で、受刑者は面会や診察の待ち時間の際、この白塗りの電話ボックスのような鍵のかかった個室で待機しなければならない。隣に誰が入っているのかも分からないし話をすることも出来ない。絵の中には、若者から腰の曲がった老人まで描かれている。彼らの服装は、運動靴にスリッパ、作業服に半袖など様々だ。 

 衣類のラインナップを全部描こうと思って。ゴムの草履は舎房で履くやつで、累進処遇が上位の人は優遇措置として、スリッパを買うことが出来るんです。端の老人は、1年間懲罰や事故がなかった時に貰える無事故賞が右腕に付いてて、これは23年間無事故が続いたということ。無期懲役の人の場合、40年無事故賞を集めた強者もいました。

 そう教えてくれたのは、この絵の作者・岩崎風水さん。僕より1つ年下の岩崎さんは、約15年に及ぶ刑期を終えた元受刑者だ。知人を介して岩崎さんを紹介してもらった僕は、ある日の昼下がり、都内のカフェで周囲を気にしつつ事件の概要を伺った。
 既に社会復帰を果たしている岩崎さんや被害者遺族のことなども考慮して、ここに事件の概要を記すことは控えるが、岩崎さんから語られた事件の話を聞いて感じたのは、人が罪を犯してしまう動機は様々だし望んで犯罪者になる人は誰もいないということだ。平穏に思える日常だが、何らかの歯車が重なり合って突然音を立てて崩れていくかもしれない。事件に巻き込まれ、加害者や被害者となってしまう可能性は誰にでもある。そんな綱渡りの日常を僕らは過ごしているのだ。

画像2

 閉鎖された刑務所の暮らしでは時に精神を病んでしまうことさえある。岩崎さんも長い服役生活の中で精神安定剤を服用していた時期があるそうだ。その時の様子も岩崎さんは絵に記録している。

画像3


「服用します」(2011年制作)

 医療刑務所に結核で療養してから、働く気が起きなくって、抗うつ薬から飲み始めました。「気分が優れないんです」って言ったら、薬を出してくれて。だいたい、みんな薬漬けになって行くんです。薬を飲むときは、全ての薬を舌の上に乗せて刑務官に「服用します」って見せて、飲んだ後も「服用しました」と何も残っていない舌を見せるんです。

画像4


「25年の匠」(2011.1.28制作)

 この絵は作業風景を描きました。中国産の箸に箸袋を入れて、次の人に回す作業で、この作業が1ヶ月続きます。長い人になると3年ほど同じ作業をやってることもあります。やっぱり受刑生活には仕事が必要なんです。直接、社会復帰には役立たないですけど、中国と張り合ってとってきた仕事なのでね。だからたまに中国でプリントミスがあって爪楊枝の「じ」の濁点がなかったら、それをマジックで記入する仕事もあります。
 タンスなどをつくる人は刃物を持つため、危険手当が3割つくこともあります。作業等工と行って最初は月に600〜700円なんですけど、自分は4等工くらいまで上がって月4000円くらいになりました。それだけ貰っても、半額は積み立てしなきゃいけないから3800円の運動靴も買えないんですよ。靴は走ることに直結するんで官給品じゃ物が悪いんですよ。


画像5

岩崎さんがデザインした刑務所の落書き帳。現在も矯正展で販売されている

 岩崎さんがこうした絵を描いていたのは2011年のこと。懲罰を何度かもらっているうちに、次第に刑務官に嫌われて工場に出してもらえなくなって、独居房に長い間入れられていたことが絵を描くきっかけとなった。抑圧は人間の創造性を引き出す。まさにこうした閉鎖的環境が岩崎さんに絵を描かせたわけだ。


 懲罰は閉居罰で、部屋に置いてた本やノートや筆記用具などの私物は全て取り上げられて、独房で9時から17時は壁を向いて正座またはあぐらをかいて座っていなければいけないんです。短くて7日間、僕は最高45日もその状態でした。懲罰期間中でも、審査の不服申し立てをしたのでノートや辞書や鉛筆を使うことができました。ただ、描くことができるのは余暇時間だけ。就寝時間に筆を持ってたことで懲罰になったこともあります。画材については、「独学で水彩画を学びたい」という理由を添えた特別購入許可願いを提出して、水彩用の筆や三角定規やスケッチブックなどを購入しました。

 7枚のうち、部屋の室内を描いた絵は3枚ある。そのうちの2枚は、過剰拘禁時代の室内を想像して描いたものだ。

画像6


「老若独居」(2011.1.28制作)

 これは独房を2人で利用している絵です。そのための優遇措置として、テレビを長時間見れたり、扇風機がつけられたりしています。掛けられた雑巾は、古い時代の掛け布団を再利用した物です。白物と言って枕にもスタンプが押してあります。記してあるのは、架空の番号ですよ。そうじゃないと不正連絡に取られるんです。フルネームで呼ばれると、「あの事件のあの人だな」ってのがわかっちゃうから、例えば「123番岩崎」っていう風に番号と苗字を合わせて呼ばれるんです。

画像7


「王座への獣道」(2011.1.28制作)

 これも過剰収容時代で本来5名入るところに7名の雑居房を描きた作品です。膝を立てただけでぶつかってしまう2段ベッドが配置されてます。ここから食事とか支給されるから、入り口近くに寝てる人は、トイレまで行くのが過酷な道なんです。こういう部屋に入ったこともありますね。

 どの作品も俯瞰的に描いた構図が特徴的だが、特にもう1枚の独居房の備品を全て描いた絵画は圧巻だ。目を凝らすと節水シールまで見え、刑務所の暮らしを覗き見ているかのようだ。

画像8


「独居室」(2011.1.23制作)

 私物箱の中に入りきらない時は「減らしなさい」と指摘を受けます。減らす場合は、廃棄や宅下げですね。刑務所での物品は官給品がほとんどなんですけど、シャツとパンツに関しては自弁購入ができました。僕は本や切手などにお金を割り振りたかったんで、「ここで気にしても仕方ないな」と思ってパンツもシャツも購入しませんでした。だから、最初に入所したときは、過去に誰かが履いてた下着やパンツが何枚か支給されて、1年ごとに新品のパンツが1枚与えられるから、全てが自分専用のパンツになるまで3年かかりましたね。

 描いた絵は、獄中者の作品展を企画していた人宛に郵送で送っていたが、お礼として500円の差し入れがあったことで、それが営利目的と取られ「受刑生活に支障がある」という理由で、その後一切文通が禁止になってしまったそうだ。自分の表現が社会に出て行くという繋がりを断ち切られた岩崎さんは、絵を描くことを中止し、そのエネルギーを訴訟に費やしていった。

 「保護房で手首を嚙み切らなきゃいけなかった、食事を与えられなかった、昼夜間独居が3年間も続いて誰とも話しできなくて辛かった」など処遇改善の不服申し立てとして2011年から法務大臣を相手に30件の訴訟を起こしました。法廷に行けたのは出所してからの1件だけでしたけどね。

 「こんなのもあります」と腕に巻いた時計を外して見せてくれたのは、左手首に彫った腕時計模様のタトゥーだった。「LUCKY(幸運な)」「HAPPY(幸せ)」「NO PROBLEM(問題なし)」のアルファベットが刻まれている。独房に1年以上入れられていた時、特別購入許可願いを申請して購入した墨汁とGペンを利用し、腕にGペンで墨を差し込んでいった。

画像9

 「どこで彫ったんだ」と刑務官から問われましたが、「入所した時から入ってたんです」と誤魔化しました。記録にはないけどが本人が証言しているから懲罰を免れることができたんです。まぁ、刑務官も現認できていないですからね。タトゥーを入れることで、出所後に様々な社会的制約は予想されましたが、僕にとっては生き延びるための覚悟でした。親指の付け根には、小さな十字の模様を入れています。左手首の脈をとる時に、自分でその模様に触れるんです。当時は同じような環境の人が隣で首を吊って亡くなるという悲惨な状況で、独居室の重圧に負けて自殺することが頭をよぎるたびに、脈をとり、時間の感覚を取り戻していましたよ。

画像10


「あこがれの場所」(2011.2.19制作)

 岩崎さんによると、「お世話になりました」「もう来るんじゃないぞ」という受刑者と刑務官のやり取りは、やはり虚構だと語る。その様子を風刺した絵画は、当時1冊90円で購入した便箋に写っていた刑務所の写真にマス目を引いて拡大し、写し取ったものだ。
 現在はガイドヘルパーやカウンセラーとして第二の人生を送っている。獄中者の家族と友人の会の相談員として、刑務所を訪問しながら相談活動にも従事する毎日。当事者だったからこそ相手の思いを汲み取り、相手の立場に立つことができるのだろう。
 岩崎さんのおよそ15年に及ぶ服役生活は一体なんだったのだろう。話の最後にどうしてもそのことを知りたくなり尋ねると、「後悔はしていません。全て人生のプロセスです」と笑う。様々な人生の荒波をくぐり抜けてきた岩崎さんの言葉は重い。
 僕が岩崎さんの絵に興味を持ったのは、僕らが知ることのできない刑務所の実態をこの7枚の絵が伝えているからだ。死刑囚の絵のときもそうだったが、刑務所や拘置所などいわゆる塀の中にいる人たちの暮らしは、接見交通権が極端に制限されているため、彼らが何を考え、何を主張し、どう生きているかが僕らの耳にまで届くことはない。そのために、まるで異世界の住人のように感じてしまうのだが、いま僕の目の前には会話をしたりメールのやり取りをしたりしている岩崎さんがいる。虚構の世界などなく、全ては地続きで繋がっていることを僕はこの絵を通じて再認識させられる。この絵の存在価値はそれほどに大きいのだ。

<初出> ROADSIDERS' weekly 2017年10月18日 Vol.280 櫛野展正連載





いいなと思ったら応援しよう!