鴨江ヴンダーカンマー -怪奇幻想の王国-
1.浜松に誕生した怪奇骨董秘宝館
静岡県西部、遠州地方に位置する県内最大の都市・浜松市。
駅から車で西へ5分ほど走ったところに、「鴨江観音」の名で知られる鴨江寺(かもえじ)はある。
この遠州地域では、かつて人が亡くなれば、その霊は鴨江寺へ行くと信じられており、死んだ霊をなぐさめるため、彼岸に「鴨江まいり」をする風習があった。
鴨江寺で春と秋に開催されるこの彼岸会には、境内が参拝客で大賑わいとなり、サーカスや見世物小屋だけでなく、境内周辺の道路には瀬戸物市や植木市、玩具や飲食物を販売する屋台が立ち並んでいたという。
本来であれば清浄であるべき境内だが、このときばかりは混沌とした世界に覆われ、それがむしろ人々の好奇心を煽り、誰もが春・秋の彼岸会を心待ちにしていたようだ。
加えて、かつて鴨江周辺には「二葉遊郭」と呼ばれる遊郭が広がり、最盛期には300人もの芸妓が働いていた。
この辺りは、サーカスや見世物小屋、たくさんの露店や傷痍軍人で賑わい、ある種のいかがわしさがあったんです。そうした雰囲気を取り戻したいと思ってやり始めました
そう語るのが、鴨江寺の向かいにある私設博物館「鴨江ヴンダーカンマー」の館長、西川昌宏(にしかわ・まさひろ)さんだ。
鴨江ヴンダーカンマーは、3階建てのビルと別棟の木造住宅からなる怪奇骨董秘宝館で、2020年1月にオープンした。
ビルの2階部分は西川さんが30年以上に渡って収集を続ける珍品が展示され、3階部分はギャラリーや貸しスペースとして、西川さんが注目するアーティストの作品が展示されている。
さらに1階の通路を抜けると、別棟である会員制サロン「素頓亭(すっとんてい)」は現れる。
築70年の木造平屋住宅のなかには、西川さんが収集した珍品やアート作品が至るところに展示されている。
2.蒐集に没頭する日々
西川さんは、1972年に静岡県浜松市で3人姉弟の長男として生まれた。
声が大きくて、人を指図していたような子どもでした。スポーツ少年で、学級委員とか興味はなかったんですが、先生から指名されて児童会長などをやらされていましたよ
小学校3年生から6年生までは、サッカー部で副キャプテンを務めていたが、団体競技には向いていないことを痛感し、中学に上がると剣道部へ入部した。
高校卒業するまでの6年間、竹刀を振り、汗を流した。
子どもの頃からオカルトが好きで、古賀新一や日野日出志などの怪奇漫画に胸を躍らせた。
また、イギリスのロックバンド「ポリス」のカセットテープを購入したことがきっかけで、レコード収集にも熱を入れるようになった。
古本屋と中古レコード屋が西川さんにとってのオアシスになっていたようだ。
中学卒業後は、市内にある県立高校へと進学した。
努力しないと言うか、無理に偏差値の高い高校へ行くことはやめたんです。競争社会から自分で抜け出しちゃったんですよね。伸び伸びしすぎて、高校へはあまり行かなくなりました。友だちと喧嘩して停学になったこともありました。でも、不良だったわけではないんです。そういう連中と付き合うのは、こっちが避けていました。とは言え、半分角刈りで半分モヒカンの髪型をしていたから、普通の友だちもみんな怖がって避けていたんですよね。だから、友だちがいませんでした
ひとりで時間を潰すために、ますます古書店と中古レコード店へ足を運ぶようになり、蒐集へのめり込んでいったようだ。
中学3年生からは、ギターやベースを始め、知り合いのバンドに参加して演奏するようになった。
卒業後は、「家から出て、東京へ行きたい」という動機から都内にある法学部法学科のみの単科大学へ進学した。
大学でも音楽を続け、バンド活動は継続した。
大学のゼミで日本法制史を勉強したことで、古代では祭祀と政治とが一体化した祭政一致の状態であったことを学んだ。
そこから民俗学へも興味を抱くようになり、幼少期からのオカルト好きや古書蒐集の延長で、珍品にも興味を抱くようになったそうだ。
3.47歳からの転機
大学を卒業したあとは、東京の消防設備会社でサラリーマンとして勤務した。
6年ほど働いていたが、実家の消防設備会社から声がかかり、2001年5月をもって退職。
静岡に戻り、父親に代わって代表取締役に就任していたが、2018年で代表取締役の職を父親に戻し、早期退職した。
私生活では、30歳になるときに1歳下の高校の後輩と結婚し、2人の子どもを授かった。
そんな西川さんが、鴨江ヴンダーカンマーの開設に向けて準備を始めたのは、47歳のときからだ。
父親の会社で働いていた頃に、全国へ出張する機会が多くあり、骨董屋や蚤の市などを巡ってコレクションを増やしていった。
長女が生まれてカミさんが里帰りで実家へ戻ったときに、大物を購入したら、戻ってきたときにひどく叱られたんです。だから、自宅の隣に倉庫を建てて、そこに保管するようになりました。でも、あるときに「せっかくだから出してあげないと可愛そうだな」と思うようになって、何箇所か物件巡りをしているうちに、現在の場所に巡り合うことができたんです。ビルだけではなく、オーナーが居住していた木造の平屋住宅も一緒に購入できたことが大きかったですね。妻からは、「この汚い家がつくんなら、絶対に買っちゃだめ」と言われていたんですが、そのときは、もう購入していたんですよね
2019年にビルと離れの家屋を購入して改修をスタート。
「ここを好き勝手にいじっても良いんだ」と改装していくことに喜びを感じるようになったという。
鴨江ヴンダーカンマーは改修時から評判を呼び、同年7月に一足早く2階だけを先行オープンさせた。
「数えたこともない」という西川さんのコレクション点数は、なんと数万点にのぼる。
いまでも蒐集は続け、東京のギャラリーなどに足を運んでは、気になるアーティストに声を掛けているようだ。
なかでも、館内に常設展示室まで設け、多くを収蔵しているのが浜松市内在住の彫刻家・池谷雅之(いけたに・まさゆき)さんの作品だ。
4.彫刻家・池谷雅之
池谷さんは、1954年に浜松市でひとりっ子として生まれた。
小さい頃からものづくりは好きな子どもで、両親に「漫画家になりたい」と告げれば、「あんなものになってどうするんだ」と反対されたこともあった。
平面よりも立体作品をつくることが好きだったため、高校卒業後は愛知県立芸術大学美術学部へ進学し、彫刻を学んだ。
大学時代は、大学教授も多く所属していたため、日本最大級の公募展「国展」を運営する大手美術団体である「国画会」に所属。
卒業したあとは、市内の高校や短大、そして専門学校で非常勤講師として17年間美術を教えた。
浜松に戻ったら、国画会の人なんていないから、彫刻は自分で運ばなきゃいけなかったんです。だから、仲間をつくるために絵画や彫刻の美術団体である「二紀会」に所属しました。そのうち、50人くらい会員がいた静岡県の支部長も務めるようになりました。次第に支部長として東京出張も増えていったんですが、何の補助も出ないから、メリットも少なかったんですよね。私にとっては、王道の作品をつくっているという意識はあったんですが、会のなかでは異端として見られていたようで、決して居心地も良いものではありませんでした
そう語る池谷さんは、美術教師を辞めたあと、1995年に静岡県舞台芸術センター(SPAC)が設立されたことを機に、1997年から舞台監督と舞台美術の担当として働き始めた。
舞台セットの制作や舞台公演のディレクターを務めていたが、50歳を前に体力の限界を感じて退職。
その後は、浜名湖舘山寺美術博物館の館長から声を掛けられ、副館長として勤務し、企画展業務などを担当した。
所属していた「二紀会」も7年ほど前に脱退し、池谷さんは突然発表の場を失うことになった。
美術展の審査員などを頼まれても、彫刻家以外の肩書きがなくなってしまったため、池谷さんは次の居場所を探し求めていたようだ。
そんなときに、情報を得て応募したのが、東京の「ヴァニラ画廊」で2016年に開催されたヴァニラ大賞展だった。
第4回目の公募展で、彫刻作品「赤い月」が奨励賞を受賞。
翌年も応募し、現物審査に臨んだが、輸送中に作品が破損してしまったようだ。
2018年、浜名湖舘山寺美術博物館の閉館とともに退職し、市内の骨董市場で骨董品の修復と市場運営の手伝い業務として働くようになった。
それまで美術博物館の倉庫に保管していた自作は、置き場所に困り、残念なことに現在は自宅の庭で野ざらしになっているようだ。
そして、骨董品市場の仲間から「近くに面白い場所ができるよ」と教えてもらったことで、2019年6月頃に改装中の鴨江ヴンダーカンマーを訪問した。
見に来たら、想像以上に私が制作しているものとぴったりでした。いままで王道作品のようなものをつくっていた時期もありましたけど、それは認めてもらうためだったんですよね。でも、こういう場ができたことで、本当につくりたいものだけをつくろうと確信したんです
2020年5月には、鴨江ヴンダーカンマーで池谷さんの個展を開催。
最初の緊急事態宣言が発令されていたこともあり、情報発信だけして無観客個展としたようだ。
以後、池谷さんは同館の企画展に参加していくなかで、どんどん館内に作品は増えていき、現在では60点ほどが館内外に並ぶようになった。
池谷さんの人脈も手伝って、各地のアーティストから「展示したい」という声は続いている。
そして、近年では同館はモデル志願の女性たちの撮影スポットにもなっており、オーナーである西川さんは彼女たちの写真を撮影したり、店内に設置された人形に緊縛を施してアレンジを加えたりと、鴨江ヴンダーカンマーを続けることで、西川さんも自分の表現に目覚めてきているようだ。
5.怪奇幻想の王国
よく知られているように、バロック期にイタリアから始まりスペインやドイツの王侯貴族にまで伝播した「ヴンダーカンマー(驚異の部屋)」は、特権階級が世界中から集めた珍品を陳列し、自らの権力を見せびらかすための部屋だった。
鴨江ヴンダーカンマーは、まさに本家ヴンダーカンマーがそうであったかのように、博物学として整理される以前の、ただ美しいから、ただ珍しいから、ただ面白いからという、そんな人間の欲望を反映したコレクションが詰まっている。
入館時には、西川さんが独自の眼力を使って収集したひとつひとつの珍品について解説してくれると言うから、こんな贅沢な時間はないだろう。
鴨江ヴンダーカンマーに漂う怪しさは、1970年代に入ってブームとなったオカルトに近いものがある。
あの頃の僕らは、好奇心と想像力が刺激されて毎日退屈する暇さえなかった。
そうした怪しげな世界を否定する人もいるけれど、空想の世界だけは自由であって良いはずだ。
独特の雰囲気が漂う鴨江ヴンダーカンマーは、かつての鴨江が持っていた見えざる怪奇幻想のベールとなって、今日も密やかに揺らめいている。
<初出> ROADSIDERS' weekly 2021年6月28日 Vol.458 櫛野展正連載