棚瀬 啓介「いつかの未来のために」
1.電力系YouTuber
子どもたちにとって憧れの職業となった職業「YouTuber」。
誰でも気軽に動画配信が可能になった現代において、HIKAKINや、はじめしゃちょーのように、数百万人を超える登録者を抱え、億円単位で稼ぐスターがいる一方で、ニッチなニーズを掘り起こして配信を続けている人も多い。
電力業界で業務を続ける傍ら、「電力系YouTuber」として活動を続けるのが、棚瀬啓介(たなせ・けいすけ)さんだ。
2019年夏から始めたYouTubeは、登録者こそ1200人ほどだが、現在までに350本近い動画を配信し、人気を集めている。
東大法学部卒という経歴を持つ棚瀬さんは、どのようにして現在の道へ至ったのだろうか――――。
2.将来の夢は
国内で一番生産量が多い柿の品種で、果肉の食感が良くて糖度が高いことから「甘柿の王様」とも呼ばれる「富有柿」。
この柿の発祥の地として知られているのが、岐阜県南西部にある瑞穂市だ。
人口55,000人ほどの小さな街で、棚瀬さんは1980年に2人兄弟の次男として生まれた。
「小さい頃は目立ちたがり屋で、小学校の頃から学級委員長や生徒会長などを務めていました。勉強も頑張っていたけど、小学校1年生からは卓球を始めたんです」
卓球で国体選手にも選ばれたこともある父親の影響で、小さいときから卓球を始めた棚瀬さんは、たちまち頭角を現していった。
小学生2年生のときには、岐阜県代表として全国大会へ初出場し、高校を卒業するまでほぼ毎年全国大会への切符を手にすることができた。
小学校6年生のときには、東アジアホープス日本代表選手に選抜され、世界の場で闘ったこともある。
大学を卒業するまで卓球部で汗を流し、現在も趣味で卓球を続けている。
一見すると輝かしい成績を残したかのように思えるが、「小学校1年生から卓球を始めていたことが有利だっただけです。僕らはちょうど谷間の世代で、岐阜県にそれほど強豪選手がいなかったので、本当に運が良かっただけですよ」と謙遜する。
そんな棚瀬さんの夢は、弁護士になることだった。
きっかけになったのは、中学3年生のときにテレビで観た連続ドラマ『正義は勝つ』。
若手弁護士役の織田裕二の演技に魅了され、「弁護士って頭良いし、儲かる職業なんやな」と憧れを抱いた。
「小学生の頃、ある程度勉強ができたから、周囲からは『将来は医者か弁護士』って言われてたんです。血を見るのが嫌だったんで、医者ではなく弁護士を目指すことにしました。母が『昔、検事に憧れていた』と話してくれたのも影響しているのかも知れません。決定的なのは、ドラマ『正義を勝つ』だったんですが、いま振り返ってみると弁護士じゃなくてドラマの中の織田裕二に憧れていたんですよね」
3.弁護士への道
弁護士を多く排出している東京大学の中でも最難関と言われる法学部を受験。
浪人生活を経て、無事に東京大学法学部へ進むことのできる文科一類へ入学することができた。
浪人時代は、1年間寮生活を送り、予備校に通って勉強漬けの生活を過ごした。
棚瀬さんいわく「修行僧のような日々」だったようだ。
しかし、このときに初めて勉強の楽しさを感じることができたと語る。
卓球部で汗を流しながら司法試験を受験したものの、足切り試験で不合格。
1年留年して、必死に勉強し再び挑んだが、またも足切り試験で落とされてしまったようだ。
「同級生でも足切りで落とされる人なんていなかったんですよ。2回も足切りで落とされる人なんて、もう受けないほうが良いと言われれて」とすぐに頭を切り替え、就職活動を開始した。
4.大きな転機
偶然、大学の掲示板で追加募集の求人が張り出されたのを目にして、すぐに応募。
2005年4月からはNTT西日本へ入社し、兵庫支店設備部配属で働き始めた。
通信設備の装置や投資計画、電柱や配管の保守などで2年間働いたあとは、2007年4月から東京本社経営企画部へ異動になった。
4年ほど働き、慣れてきたところで2011年7月からは北九州へ転勤となり、家電量販店の担当になった。
「いつか異業種企業と業務提携をしたいという考えを抱いていました。いきなり本社レベルで大きなサービスを提案するのは難しいので、『まずは小さなところから』と人事担当の方が配慮してくれて北九州へ異動になったようです」
このときの異動が棚瀬さんにとっては大きな転機となった。
ちょうど棚瀬さんがやってきた2011年7月と言えば、テレビ番組がすべて地上デジタル放送へと移行し、アナログが終了した時期だ。
地デジ対応薄型テレビの販売は、2009年の後半から少しずつ伸び始め、2010年11月の年末商戦では2004年と比べて約93倍に達し、驚異的な伸びを記録した。
まさに「地デジ化特需」と言われた状況だったが、地デジ化移行後はまるでバブルが弾けたかのように売り上げが一気に減少。
「前任者が優秀な方だったということもありますけど、『前任者のときは売上が良かったのに、こいつが来たら売り上げ落ちた』と色々な人から言われましたよ。2年目から家電量販店のサイクルが分かってきて、少しずつ売り上げを回復させることができるようになったんですけど、市場自体が狭くなっているので、いくら頑張っても難しい状況だったんです」
同時期に、インターネット通販の台頭によって、家電量販店では眺めるだけで顧客の購買がインターネットへと流れてしまう「ショールーミング」も見られるようになった。
さらに、高速通信サービスが普及するようになり、自宅のインターネットを固定回線ではなくポケットwifiなどのモバイルルーターを持ち歩く人が増えるようになってきた。
「この流れは止まらないなと思いました。2016年からは、電気の売り手やサービスを顧客が自由に選べるようになる『電力の小売自由化』の時代が来ると言われていて、この事業の立ち上げから関わってみたいと考えるようになったんです」
5.動き続ける日々
「NTTグループ内ジョブチャレンジ」という社内公募制度に応募し、2度目の挑戦で、2014年4月からはNTTファシリティーズ・東京ガス・大阪ガスの共同出資によって設立された電気事業者である『エネット』へ異動することができた。
ここでは、市場調査をしたりコールセンターを設立したり、代理店と交渉して販売方法や研修を行ったりと、まさに立ち上げから会社をつくる仕事に携わった。
その頃になると、太陽光や風力、地熱といった地球資源の一部など自然界に常に存在するエネルギーである「再生可能エネルギー」の普及が叫ばれるようになり、本格的に太陽光発電に携わるため、2017年1月からは大阪市にあるNTTスマイルエナジーへ異動。
全国各地に存在する小規模の再生可能エネルギー発電をまとめて制御・管理するVPP関連業務に関わっていたが、やはり「東京で働きたい」と2018年12月でNTTを退社し、2019年1月からは三菱UFJリースの環境エネルギー事業部で働き始めた。
太陽光発電の第三者保有モデル関連業務で1年ほど勤めたのち、2020年1月からはNTTスマイルエナジーへ復職し、現在はコロナ禍ということもあり契約社員として在宅勤務を続けている。
在宅勤務になったことを機に、それまで通勤に充てていた時間を利用して、YouTubeを本格稼働。
毎日パワーポイントを駆使した配信や、スタートアップの起業家の人たちとの対談動画をアップし続けている。
6.いつかの未来のために
「自分が気になっている分野の人たちと対談するようにしています。本当に日々勉強で、色々なヒントを頂くことができています。自分の知識を温存する人もいますが、僕はYouTubeやnoteで広く公開することで、自分の存在を多くの人に知ってもらうことができるようになりました。ビジネスのアイデアって100個思いついても実現できるものって1個くらいじゃないですか。だから、僕にとってYouTubeは日々のメモ代わりでもあるんです」
そう話す棚瀬さんは、これまで常に時代を読んで、その都度、異動を繰り返してきした。
それぞれの現場で様々な声に耳を傾けることで、未来を予見し予測し続けている。
ひとつの場所で居座り続けることで、安定を得ることはできる。
しかし、それよりも棚瀬さんは自分が動き続けることで、社会の変換そのものに携わって新しい価値を生み出そうとしているのだ。
「2025年には、個人が自分で使う電気を自宅の太陽光発電と蓄電池で貯めて、雨天時などは自動運転の車が電力供給に訪れる、そんな配電網代替プラットホームができないか模索してます」
どういうシステムを使えば、それが実現できるのか、自分はその未来のどこに関われるのか、そんな思考を日々続けている。
いつか訪れるワクワクする未来に向けて、今日も棚瀬さんは配信を続けている。
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