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天沼 沙織「それでも表現し続ける」
1.楽しく学ぶことができる場所
埼玉県さいたま市にある北与野駅。
池袋、新宿、渋谷など都内の主要駅へも乗り換えなしで約40分以内に到着できる利便性の高い駅として知られている。
駅から5分ほど歩いたところに、天沼沙織(あまぬま・さおり)さんが経営する「Learns Happily(ラーンズハピリー)」という施設はある。
ここは、バレエ教室、ダンス教室、そしてイングリッシュ・リトミックを開講しており、その名の通り、「楽しく学ぶ」ということを目指している。
普通の主婦だった天沼さんが、いったいどのようにして教室を経営するに至ったのか、ご本人にお話を伺ったーー。
2.将来の夢は
天沼さんは、1973年に兵庫県伊丹市で、2人兄妹の長女として生まれた。
大阪で育った天沼さんは、幼少期から活発な子どもで、4歳からピアノを習っていた。
小学校5年生からは、音楽を専門的に学ぶため大阪音楽大学付属音楽院へ通い始めた。
高校卒業後は、大阪音楽大学音楽学部でピアノを専攻したが、「なんとなくピアノができる子だったんですけど、大学へ入って音楽では食べていけないことが分かりましたね」と周囲のレベルの高さを痛感したようだ。
当時の夢は「お嫁さんになること」だったという。
卒業した後は、広告代理店へ就職し、営業仕事をこなしていたが、1年ほどで退職し、希望していたレコード会社へ転職した。
同じ会社の男性と恋に落ち、25歳で寿退社。翌年には長女を出産し、夢だった結婚生活を満喫していたが、28歳のとき試練が訪れる。
「小さい頃から症状はないんですけど、定期的に腎臓が悪くて検査を受けてたんです。検査で白血病が見つかって、急遽入院することになりました。まだ長女も2歳だったから、大きな不安はありましたけど、思い悩んだところでどうにもならないので、途中からは開き直って治療に専念しました」
早期発見と抗がん剤治療によって、幸いにも29歳で白血病を寛解することができた。
3.バレエとの出合い
そして2年後に、天沼さんはバレエと深く関わることになった。
「自分の娘にバレエを習わせたかったんですけど、私自身がバレエ未経験だったからバレエに対して『月謝が高い』『発表会の費用がすごくかかる』などのイメージが強くって、通わせることを躊躇していたんです。同時期に、クラシックバレエをやっていた大学の同級生が劇団四季を退団したという話を聞いて、『良かったら娘に教えてよ』と声をかけたんです」
次第に口コミで人が集まるようになったため、2004年から体育館を借りてバレエサークルを始めた。
翌年からは公民館を借りて、英語を楽しみながら身につけるイングリッシュ・リトミックの講座もやるようになったが、急に参加できなくなった講師の代わりに、急遽ピアノの伴奏役だった天沼さんが指導者としても携わることになった。
しかし、独学で続けていくには限界があったため、2006年1月に長女と2週間の留学を決意。
留学中に、オーストラリアで子どもたちに英語を教える方法を学んでいった。
バレエサークルは一番多いときで60人ほど生徒が集まるようになり、体育館の予約が取りにくくなったため、2007年からは現在の地で店舗借りて運営を始めた。
さらに、近所でバレエとダンスの教室を主催している知人の発表会に足を運んだ天沼さんは、バレエとダンスの相性の良さを痛感し、2014年6月からは自分の施設でダンスクラスも開講した。
なんという決断力の早さなのだろうか。
しかし、彼女に言わせれば、こうした活動は自分がどうしてもやりたくてやったことではないようだ。
4.本当にやりたいこと
「なんとなくで、ここまで来ちゃってるんです。私はいったい何がやりたいんだろうか。たとえ失敗しても、挑戦したいものって何だろうと自問自答したときに、教室の発表会、つまり舞台をつくっているときが一番楽しいことが分かりました。だから、商業用の舞台をつくってみたいと思うようになりました」
ダンスクラスの先生が主催している教室の発表会を見て、ダンスだけで繋げていく演劇の可能性を感じていた天沼さんは、「DanceACT」と称した新たな舞台をつくりあげた。
それは、出演者がミュージカルのように歌ったり、芝居のようにセリフを発したりすることもなく、ダンスだけで話が展開していくという斬新な舞台だ。
「舞台やミュージカルに変わるもう1つの演目として夢を膨らませていたんです。結果は集客も少なくて散々でした。告知が上手くできなかったのと、壮大なイメージだけが先行してオーディションで募集したキャストも思っていたほど集まらなかったんです。振り返ってみると、私には主婦仲間は多くても経営のことについて相談できる仲間は誰もいなかったんですよね」
そうした機会を得るために、キングコング西野亮廣さんが運営するオンラインサロンに入会し、他業種の人たちが集うサロンメンバーとの交流を深めようとしている。
5.表現することの大切さ
そして、一見すると上手く回っているように見える教室の経営だが、赤字を補うために彼女は現在も派遣社員として働きに出ている。
「ただ、悲観的になっていても仕方ないですからね。何年も教室へ通ってきてくれる子どもや退所したあとでも顔を出してくれる生徒たちもいます。なんとか続けられるうちは、赤字でも続けたいと思っています」
経営者にとって、経営が苦しくなり店をたたむという選択肢は、ある意味で容易い。
しかし、彼女は教室の経営を存続させることで、子どもたちの居場所をつくろうとしている。
子どもたちにとっては、彼女が少女の頃から通っていた大阪音楽大学付属音楽院のように、家庭でも学校でもない自分のことを認めてくれる第三の場所が必要なのだ。
そして、そうした場で表現することの楽しさと大切さを彼女は誰よりも知っている。
病気や教室や発表会のことなど、これまで何度も大きな壁に立ち向かってきた彼女だが、表現することさえ辞めなければ、きっと道は開けることを僕は信じている。
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