小林 功治「出逢いこそ資産」
1.人気の喫茶店「GOOD NEIGHBORS COFFEE」
香川県内で3店舗を展開する人気の喫茶店「GOOD NEIGHBORS COFFEE(グッドネイバーズコーヒー)」。
淹れたての珈琲とボリュームのあるサンドイッチ、そしてたっぷりのバターが染みた38mm厚切りトーストなど手づくりの味を求めて、朝から家族連れやカップルなどの老若男女でいつも賑わっている。
本店である丸亀店に、いまも立ち続けているのが、オーナーである小林功治(こばやし・こうじ)さんだ。
小林さんは、2013年4月に故郷の丸亀市にGOOD NEIGHBORS COFFEEをオープン。
2016年、そして2019年には香川県内で2店舗目、3店舗目となる系列店を開いた。
「一番大事にしている時間帯は朝のモーニングサービスで、特にシニアのお客様を大切にしています」と語る。
このGOOD NEIGHBORS COFFEEは、わずか8年ほどで、どのようにして人気店へと成長を遂げたのだろうか――――。
2.将来の夢は
小林さんは、1977年に丸亀市で2人きょうだいの長男として生まれた。
小さい頃は、負けず嫌いな子どもで誰よりも一番になることを望んでいた。
でも、人前で何かを発言することは苦手で、どちらかと言うと目立つのは嫌い。
そんなちょっと変わった子どもだったという。
小さい頃からプロ野球選手に憧れていた小林さんは、小学校6年生のときに新設された軟式野球クラブの第一期生として入部し、ようやく本格的に野球をすることができたようだ。
「軟式野球クラブを卒業するとき、顧問の先生が長渕剛の『乾杯』を歌ってくれたんです。『ええ歌やな』と思って、そこからすぐにカセットテープを買って、フォークギターを手にするようになりました」
中学でも野球部に入部していたが、あまり勉強が得意ではなかった小林さんを見かねた両親が「成績が悪くなるんだったら野球を辞めろ」と叱責し、わずか1年で退部。
思春期で、ちょうど髪を伸ばしたい年頃だったため、退部にそれほど未練もなかったという。
「そのあとは、友だちとお酒を飲んだりタバコを吸ったりして悪い遊びをしていましたね」と笑う。
親の勧めで中学2年生の終わり頃から塾に通い始め、中学3年生のときは1年間真面目に勉強し、香川県善通寺市にある公立高校へ合格することができた。
3.バスケがしたいです
高校へ入ると、週刊少年ジャンプにて人気を博していた『SLAM DUNK』(スラムダンク)に憧れ、バスケットボール部へ入部。
バスケットボールの強豪校に素人同然で入部した小林さんは、3年間ほとんど試合に出場することもなかったが、途中で投げ出すこともなく、最後までバスケットボールをやり続けた。
「小学校の頃から親の勧めでスイミングスクールなどにも行っていたんですが、全部途中でやめていたんです。親からは『あんた、何しても続かんな』と言われていたので、自分で決めたことは最後までやり遂げたかったんです」
この「自分で決めたことは最後までやり遂げる」という小林さんの強い意志は、音楽においても同様だった。
中学生の頃は、フォークギターを弾いていたが、次第にX JAPAN(エックスジャパン)のギタリストhideに憧れてエレキギターへ転向。
しかし、あまりにも難易度が高かったことから、「六弦よりは四弦の方が簡単なのでは」という理由で高校からはベースを弾き始めた。
知人に誘われて高校2年生からは4人組のバンドを結成し、1980年代に活躍した日本のロックバンド「KATZE(カッツェ)」のコピーバンドとして、練習に明け暮れた。
「『これだけは負けへんぞ』というものが無くなっていくのが嫌で、音楽は25歳まで続けていました。ミュージシャンになることを夢見ていたんです」
卒業後は音楽の専門学校へ進むつもりだったが、「音楽で成功できる人なんて一握りしかいないから」という両親の反対を受け、大阪にあるコンピューターの専門学校へ進んだ。
「『これからはコンピュータの時代だから』と両親が勧めたこともあり、行ったんですけど、自分が行きたくて進んだ道ではなかったんです。コンピューターの情報処理やプログラミング言語を学んだんですが、訳がわかりませんでした」
そんな小林さんが楽しめたのは、音楽の授業だけだった。
大学時代はアルバイトをしながらバンドを結成し、ここでもベースを担当した。
4.音楽で食べていきたい
大学卒業後は、20 歳から日本ビクターの社員として子会社に出向。
所属歌手のCDなどを西日本地域で扱う店舗に対して、在庫管理等の業務を担当した。
入社してすぐに神奈川県厚木市で開催された社員研修の最終日に、「欠員ができているから東京本社に来て欲しい」と打診を受け、「大阪で勤務するために入社したので」と誘いを断ってしまった。
大阪に戻って、それを伝えたところ「会社の人事をなぜ拒否したんだ」と叱責を受けた。
何とか会社に残ることができたものの、次第にレンタル事業の隆盛によりCDが売れなくなり、会社の業務縮小により東京への異動を再度打診されたため、退職。
当時、大阪でバンド活動を続けていた小林さんは、大阪を拠点に活動し、「音楽で食べていきたい」という思いが強かったようだ。
その後、大阪でバーテンダーとして働いていた高校の同級生から勧められ、23歳からは、そのカフェレストランバーでアルバイトとして働き始めた。
飲食店の面白さを体感することができたものの、現在の体制では自身の望む昇格も難しいことにジレンマを感じていた。
「好きなことができるんは、25歳までやぞ」という父親の助言もあり、26歳で退職し、香川県へ帰郷した。
5.自分のお店を持ちたい
飲食店への可能性を感じていた小林さんは、家業を手伝いながら貯金をため、開業の可能性を探っていったようだ。
気付けば社員になり、周囲からは「専務」と呼ばれ、将来は小林さんが父親の会社の跡を継ぐと誰もが認識していた。
一方で私生活では、27歳のときに高校の同級生だった女性と結婚し、2人の子どもを授かった。
仕事のやりがいや楽しさは感じていたが、「自分のお店を持ちたい」という灯火は消えていなかったようだ。
妻の従兄弟に独立の夢を語ったとき、「その話、前もしてましたやん」と指摘され、眠っていた思いが再燃。
1年ほど物件探しを続けるなかで、内装デザインをインテリアコーディネーターの三好里香さんに依頼するため、図面を持参するも「この場所にお金をかけても素敵な空間はできない」と2店舗を断られ、3件目の物件でようやく三好さんに承諾して頂くことができたようだ。
「繁盛店をプロデュースする店舗のコンサルもされている三好さんは、自分が携わった店は流行って欲しいという強い思いを抱かれていたようです。僕たちの持っている力が最大限に活かせる場所かどうかまで考えてくれていたんです」と当時を振り返る。
そして三好さんからの紹介で、香川県高松市にあるダートコーヒーで数々の店舗の立ち上げに携わってきた島田昌治さんを紹介された。
「ひとつの店舗で終わらせるつもりはなくて、展開していきたいと思っています」と告げたところ、「趣味なんだったら家でやってください。本当に店舗展開するつもりがあるんだったら、取りに行かなきゃいけない時間帯は朝だよ」と指摘を受けた。
大阪のお洒落なカフェレストランバーで働いてきた小林さんにとって、シニア向けに朝の営業に力を入れることは、真逆の決断だったわけだ。
しかし、「料理ができるわけでもなくバリスタなどの資格を持っていたわけでもない、いわば素人同然だったから」と、小林さんはその声に素直に耳を傾けた。
「島田さんは、どういうお店が残り、どんなお店が消えていくかを見てきた人なので、この人が言うことは間違いないんだなと思ってやってみたんです」
6.出逢いこそ資産
店名の「GOOD NEIGHBORS」は直訳すると「良き隣人」だが、小林さんは「素敵なお隣さん」と解釈している。
子どもの頃、両親が共働きだったため、隣に住んでいたお婆さんに面倒を見てもらった思い出があるようだ。
「困った時は助け合う、しかしこれ以上は踏み込まないという距離感でのお付き合い。この『心地よい距離感』で接するという所を自分たちの接客の軸にしようと思い、グッドネイバーズに決めました」と教えてくれた。
「僕らの子どもの頃に比べて、夢や目標を持って過ごしている子どもが少ないなと感じています。『大人になることや仕事って楽しいんだよ』ということを、子どもたちに伝えていきたいんですよね」
子どもたちに毎日を喜んで働く姿を見せるために、小林さんは邁進し続けている。
昨年12月からは「おうち時間を幸せにする魔法の口どけフルーツバターを体感してほしい」というクラウドファンディングに挑戦し、多くの支援者を集めることに成功した。
「外食業界では、ウェイターやウェイトレスといったサーバーの地位は低く見られています。将来的には日本も欧米のようにチップ制を導入しようという話も耳にしています。チップ制が導入されると、スタッフは良いサービスを笑顔で提供することでチップの増額を狙えるというモチベーションがはたらきますし、その仕事に誇りを持つこともできます」
小林さんは、従業員の人たちの社会的地位の向上も視野に入れている。
そして、さまざまな人たちとの出逢いに導かれて喫茶店を経営している小林さんだからこそ、何より大切なのはスタッフの存在であることを知っているのだ。
素晴らしいスタッフが集い、そこでまとわれる空気感こそが、この店の素敵なサービスを生み出している。
新型コロナウイルス感染症の感染拡大にともない、テレワークが普及したことで、人々の働き方には大きな変化が起こった。
テレワークは孤独感にさらに拍車をかけ、人のつながりの希薄さが人々の不安を増大させている。
そうした時代だからこそ、「素敵なお隣さん」としてのこの店が果たす役割は大きいのだろう。
「自分で決めたことは最後までやり遂げる」という彼の強い信念は、まだまだ続いていく。
http://instagram.com/goodneighborscoffee/
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