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秋谷 瑠美子「ともに寄り添う」
1.自分の取扱説明書
キャラクターが「慈悲深い虎」のあなたは、ウォルト・ディズニーのように深い慈悲の気持ちをもった誠実な人です——
秋谷瑠美子(あきや・るみこ)さんに診断してもらった僕の鑑定書の一文だ。
鑑定書といえば堅苦しく聞こえるかも知れないけれど、要するに、これは自分の取扱説明書なのだろう。
自分はこういう性格で、こんな個性を持っているということが細かく分析されていて、興味深い。
専門的な資格を持つ秋谷さんは、仕事の傍らで、カウンセラーとしての活動を始めた。
診断の根拠になっているのは、人間の個性を12匹の動物と60種類のキャラクターに当てはめて分析した「個性心理學」で、1999年頃に流行した「動物占い」のもとになる統計学だ。
2.ライバルは双子の姉
今年44歳になる秋谷さんは、1976年に千葉県柏市で二卵性双生児の妹として生まれた。
「二卵性のため、顔も性格も背格好もバラバラなんです。小さい頃は、姉は音楽が好きで、私は運動が好きでした。姉はピアノを、私は新体操を習っていました。『双子だから良いね』と言われることも多かったんですが、姉のほうが勉強もできたし、いつも身近にライバルがいる感じだったので、私にとってはプレッシャーでした。学生時代は、常に偏差値や学力で比較されていたので、早く社会人になって見返したいと思っていました」
姉とは違う県立高校へ進学した秋谷さんは、新体操部に入り、卒業後は体育短大に進み、そこで本格的に新体操を行っていく予定だった。
ところが、高校2年生の夏に部活の練習で校庭を走っていたとき、上手く走ることができなかった。
通院したところ、「鉄欠乏症貧血」という診断を受け、薬を服用したものの、持久力が極端に落ちてしまい、医師から激しい運動を制止されたため、新体操の道も諦めざるを得なくなってしまった。
3.社会人として
「あるとき、家で母が簿記の資格に再挑戦するために勉強している姿を見て、一気に簿記検定に興味を抱くようになったんです」
そこから猛勉強して、千葉県市川市にある東京経営短期大学へ進学した。
そこで簿記2級や秘書検定の資格を取得。
勉学に励んでいたお陰で、教授から就職先を斡旋してもらえることになったが、「面接の練習に」と受験した会社に興味がわき、そのまま教授からの推薦を断り、20歳から不動産の仲介や管理などを行う会社で働くことになった。
そこで接客業務などに携わり、充実した日々を過ごしていた。
「社会人3年目くらいのとき、私にとってのライバルだった姉が結婚して専業主婦になり、競争相手が突然いなくなってしまったんです。そこから迷走が始まりました」
5年間働いたのち、異動になった子会社が、上手く自分の能力を活かすことができなかったり自分がやりたい業務ではなかったりしたため、仕事に限界を感じて退社。
その後は、商社に勤務し得意先を訪問して営業などを行うセールスの仕事に就いた。
4.よさこいとの出合い
そんな秋谷さんに転機が訪れたのは、北海道へひとり旅に出たときのこと。
偶然「YOSAKOIソーラン祭り」を目にし、素人でも踊ることができることを知り、調べていくうちに近所の団体「新松戸雅ノ會」がメンバー募集を出していたため、2003年から入会した。
夏季限定で活動する予定だったが、やっていくうちに楽しくなり、秋谷さんは「よさこい」の世界へ没頭していった。
「結局、セールスの仕事は1年で退職して、翌年から不動産会社で経理の仕事を始めたんです。でも、前職の経験から翌年には賃貸の営業職へ異動になって。ノルマで殺伐とした社風が私には合わず、当時よさこいにハマっていたこともあって辞めちゃいました。次の年には、『未経験歓迎』という誘い文句につられて事務職に入ったんですが、コールセンターのようにひっきりなしに電話がかかってくるところで、『なんで電話を取る数が少ないの』と問い詰められることがつらくなり、退職しました」
就職相談のアドバイスなどを受けて、自分の得手と不得手を認識するようになり、簿記の経験を活かして、31歳のときから建設業の経理部で働き始めた。
そして、私生活で5年ほど「よさこい」を続けていた秋谷さんは、「もっとレベルの高いチームで踊ってみたい」と思うようになり、32歳のときに「銀輪舞隊(ぎんりんぶたい)」という別チームに移籍。
3年経って、踊り子からリーダーに昇格することができたが、踊りを良くするために、メンバーを強く叱責したときに事件は起きた。
「そのとき他のリーダーから、『それじゃあ、人はついてこないよ』と注意され、自分に問題があることに気づいたんです。学校の部活とは違って、みなさん社会人なので活動目的もそれぞれ違っていたんですが、そうした配慮が足りてなくて。まるでイソップ寓話『北風と太陽』で旅人の上着を脱がせるために力任せに風を吹いた『北風』のようだと感じたんです。『人との接し方を勉強しなきゃな』と考えて、チームを脱退しました。振り返ってみると、小学校4年生のときに、仲の良かった友だちに無視されてグループから仲間はずれにされたことがあったんです。そのときは全く心当たりがなくて、いじめられたわけでもないんですが、もしかすると自分に原因があったのかもと考えるようになりました。双子で生まれて、常に姉と比べられてきたから、いつも自我が強く出すぎていたのかも知れませんね」
そこから、秋谷さんは自分に向き合うべく様々な自己啓発セミナーへ参加した。
「いま考えると怪しいセミナーもありました」と笑うが、それだけ必死に模索していたようだ。
「たとえば、親に感謝できない人は人を大事にできないことを教わりました。母とは小さい頃からよく喧嘩をしていて、口論になると私が口を閉ざしちゃうんです。だから母とは良い思い出がなかったんですが、4ヶ月くらい仕事を休んだとき、母が『居てくれるだけで良いよ』と言ってくれたんです。そこから気持ちが楽になって、母との確執もなくなりましたね」
建設業で経理の仕事を続けているとき、同じ会社で現場監督をしていた13歳年上の男性と出会い、38歳で結婚し、寿退社することができた。
そして婚約中に、「個性心理學」のカウンセラーをしている友人のイベントに参加し、占ってもらったところ、生年月日だけで占える手軽さと、鑑定結果があまりに当たっていた「個性心理學」へ興味を持った。
5.カウンセラーとして
人と人をつなぐ仕事に関心があった秋谷さんは、個性心理學の資格を取得し、2年ほど前から派遣仕事の傍らでカウンセラーとしての活動を続けている。
新型コロナウイルス感染症の感染拡大が続く社会不安のなか、「生きづらさ」を抱える人の数は増加傾向にある。
居場所の無さや将来への不安など、その原因は多種多様だが、共通しているのは「自分が生きづらいのは、全て自分のせいだ」と誤認しまうことにもある。
「自分がわからない」という悩みに陥ったとき、必要なのは「いったい自分はどういう人間なのか」を再認識する作業だ。
そうしたときに、秋谷さんのようなカウンセラーに頼ってみるのもひとつの方法だろう。
彼女は、これまで自身が人間関係で失敗してきた経験を活かして、カウンセリングを始めた。
これほど、説得力のある人はいない。
他人の痛みがわかる女性なのだ。
「カウンセリングを通じて、少しでも人間関係でつまずく人を減らしたいし、個性を活かして輝いて生きていける人を増やしたいと思っています」
そう自信を持って語る彼女は、冷たい北風でも灼熱の太陽でもなく、旅人に優しく寄り添う「太陽」になったようだ。
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