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国則 圭太「出会いの絵本」
1.コミュニケーションを育む絵本
出版不況が続き、書籍や雑誌の売り上げが低迷を続けるなか、成長を続けているのが絵本などの児童書だと言われている。
少子化により、読者である子どもは減少しているものの、親や祖父母世代が児童書を購入して、その売り上げを支えており、贈り物として選ばれることも多いようだ。
とくに親子で読書体験が共有しやすい絵本は、読み聞かせによりコミュニケーションが生まれることが大きな強みとなっている。
こうしたなかで、話題になっているのが、世界にひとつだけのオーダーメイド絵本ギフトサービス「ÉHON INC.(えほんインク)」だ。
これは、株式会社アッタデザインが2019年の11月30日(絵本の日)に発売したストーリーやイラストが完全オーダーメイドのサービスで、まさに自分だけの絵本をつくることができる。
さらに、現在は自分が絵本の主人公になって登場することができる「アバター絵本システム」を開発中で、2021年4月から1ヶ月間開催されたクラウドファンディングでは、当初の予想を大きく上回り、300万円を超える応援資金が集まった。
「娘に絵本の読み聞かせをしていたとき、登場人物の名前を娘の名前や飼っている犬の名前に即興で変えてみたら、とても喜んでくれたんです。このときの経験から、『自分が主役になれる絵本をつくることができれば、子どもたちも喜んでくれるのでは』と思ったことが制作のきっかけです」
そう語るのは、株式会社アッタデザイン代表取締役の国則圭太(くにのり・けいた)さんだ。
2.将来の夢
国則さんは、1981年に2人姉弟の長男として生まれた。
小学校1年生までは、東京都足立区で、小学校2年生からは神奈川県横浜市へ家族で転居した。
「小さい頃は、ビビりだったけど、目立ちたがり屋の子どもでした。泣き虫で、祖母らと花札やゲームをしているときなど、負けると『コップいっぱいの涙が出るね』とよく言われていました」
身体を動かすことか好きだった国則さんは、小学校へ入学してから、少年野球やミニバスケットボールを始めた。
「当時好きだった女の子がやっていたから」という不順な動機で小学校5年生から始めたミニバスケットボールがきっかけで、中学高校時代の6年間はバスケットボールに打ち込んだというから、何とも面白い。
「中学のバスケットボール部では、ストレッチはしないし朝練も直前になるまで行かないなど、とにかくサボり癖があったんです。監督から『お前ら全員帰れ』と怒鳴られたときも、ひとりだけ本当に帰ってしまうような子でした」
小学性の頃、家が狭くて姉と同じ部屋を使っていたため、「自分の部屋が欲しい」と思っていた国則さんは、「将来は大工になりたい」という夢を抱いていた。
大学受験を目指すようになると、自分の目指していたものは「大工ではなく建築士だった」ことを認識し、建築学科を受験するが失敗に終わってしまう。
浪人生活はパチンコ店へ足繁く通う日々を過ごしながらも、一浪の末、東海大学工学部に入学した。
「勉強嫌いだったこともあり、バイトに精を出して、相変わらずパチンコや麻雀に没頭していましたね。授業は友だちに代返してもらい、何とか単位をとっている状況でした。大学の卒業旅行で友だちと初めて海外へ出掛けたんですが、戻ってきたら単位を1つ落としていることが判明し、みんなと一緒に卒業できずに半年間の留年が決まったんです」
3.グラフィックデザイナーの道へ
就職活動は住宅メーカーを中心に巡ってみたものの、どこからも採用通知は届かなかった。
面接では自己PRを求められることが多く、そこで改めて「PRできるような大学生活を送っていなかったこと」を自覚したようだ。
「ある日、小学校からの友人に出会ったとき、デザイン専門学校へ行っていることを聞いたんです。初めてグラフィックデザイナーという職業を知り、グラフィックデザイナーなら自分がつくったものを説明できる仕事になるなと思いました」
当時テレビで放送されていたコマーシャルを見て、クリエイティブなものに興味を持っていた国則さんは、すぐに方針転換し、東京都渋谷区にあるデサイン専門学校へ進学した。
「専門学校でも、またサボるんですよ。必要な課題は提出していましたけど、デザインセンスはないなと思って、前のめりでデザインに向き合うようなことはしていなかったんです。それよりも、デザイナーを使ってディレクションできるような人になりたいと思うようになったんです」
周囲が就職活動をしているなか、足繁く学校へ通っていたわけではないから、大学から就職先を斡旋してもらうこともできない。
そんなとき、掲示板に貼られていた求人募集の紙を持ち帰り、都内の小さな広告プロダクションへ深夜にメールを送って面接を受けてみたところ、採用通知が届いた。
その会社の社長も同じ専門学校の出身で、「深夜2時に個人メールで応募してきたのはお前が初めてだった」というのが、採用の決め手だったようだ。
国則さんは、すぐに仕事を覚え、社長の右腕としてマンツーマンで教わっていくうちに、グラフィックデザインだけではなく、動画編集や3Dモデリングなどもできるようになったようだ。
4.そして、独立へ
「どんな環境でも3年は働こう」と思っていた会社も、気づけば6年が経っていた。
実力が身についてきたところで「外の世界を試してみたい」とイベント会社に空間デザイナーとして、転職。
過酷な現場であることは覚悟していたが、大規模なイベントに携わったときには、70時間一睡もできない時期もあったようだ。
29歳で2歳年下の女性と結婚し、2人の娘を授かった国則さんだったが、当時は子どもが生まれたばかりだったにもかかわらず、仕事が忙しく家にも帰れない状態だった。
「これだけ寝ないで働いているんだったら、アルバイトの方が稼げるだろう」と感じた国則さんは、32歳で個人事業主として独立し、デザイン制作会社である「アッタデザイン」を立ち上げた。
幸いなことに、これまでの人脈から多くの仕事を得ることができたが、ひとりで個人事業主として続けていく不安定さも感じるようになった。
そこで、大口のWeb制作の仕事を受注するタイミングで仲間を雇用し、2015年7月からは株式会社アッタデザインを設立。
全体を指揮するアートディレクションなどにも携わるようになったというわけだ。
4〜5年ほど経ったとき、国則さんが絶対的な信頼を置いていた会社の相棒と飲みながら話している際、「自社のシステムを使って、お客様が選択していくとストーリーが完成する商品ってできないのかな」と「オリジナル絵本」のギフトサービスを思いついた。
その後、絵本のフルオーダーサービスを立ち上げ、続く「アバター絵本システム」の構想を始めていた。
新型コロナウイルス感染症の拡大により、世の中に不安が広がるなか、「ÉHON INC.」のように人の絆を強めるサービスの存在が改めて必要とされると、国則さんは確信を抱いたようだ。
ところが、頼りにしていたその相棒は、2020年4月に、自宅で心肺停止の状態で倒れているところを発見され、42歳で他界。
その意志を受け継ぐように、国則さんは「アバター絵本システム」の実現に向けて、歩みを進めているというわけだ。
「子どもが大好きなアンパンマンのように抜群の知名度を誇るサービスや文化をいつかは生み出したいと思っています。まずは『ÉHON INC.』を通じて、絵本を贈り合うことができる文化を浸透させていきたいですね」
5. 出会いの絵本
絵本には、考える力と想像性を育む力がある。
選びぬかれた簡潔な言葉と感性に届く絵は、目と耳から感覚に届けられ、子どもの感覚に直接働きかける。
そして、日々常識やルールに縛られ自分の感情を使い分けている大人にとっても、絵本を通じて感情と表現が一致する心地よさを味わうことができるだろう。
とくに読み聞かせという行為を通じて、読み手と聞き手とは心をつなげることができる。
まさに「絵本」とは、その漢字が示すとおり、「糸がつながるように人との出会いをつなげる本」なのかも知れない。
そのように考えていくと、絵本を贈り合う行為というのは、まだ浸透しているとは言い難いけれど、人と人をつなげるためには欠かすことのできないものになっていくのかも知れない。
大切なあの人のことを想像したとき、僕らはどんな絵本を思い浮かべるだろうか。
そして、これから国則さんはどんな未来の1ページを紡いでいくのだろうか。
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