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森田 宣広「自分の人生を生きる」

1.中卒から起業家へ

「高校なんて行ってられるか、俺は金を稼ぐんだ」

そう言って社会に飛び出した無鉄砲な青年は、いまやシリアルアントレプレナー(連続起業家)として、いくつもの会社を運営する経営者に成長した。

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森田宣広(もりた・のぶひろ)さんは、世界のシェア可能なポイントやマイルをシェアし、新しい飛行機の乗り方であるシェアリングサービスの会社マイルシェアを2018年に起業し、文字通り世界中を飛び回っている。

1980年生まれの森田さんは、北の大地・北海道札幌市で3人きょうだいの末っ子として生まれた。

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森田さんが15歳のとき、5つ上の兄が癌で他界。

ちょうどその頃、森田さんはグレていた。

「ヤンキー世代の末期で、ほぼ学校には行ってなかったんですけど、勉強は大好きで、塾には結構行ってて90点以下はほとんど取ったことなかったんです。周りからは、『高校ぐらい行っとけ、就職できなくなるぞ』とめちゃくちゃ言われたんですが、『俺は違うんだ』と言い張ってました」

歌手の尾崎豊から影響を受けた森田さんにとっては、大人たちが敷いた規範や常識というレールから逸脱することが、自分の存在を主張する術だったのだろう。

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中学を出てから鳶職や内装業、土木作業員などで働き始め、「これが俺の稼ぐ道なんだ」と自分に言い聞かせた。


2.転機は18歳

3年ほどさまざまな現場で働いていたが、周囲が就職や進学などを考える時期に、森田さんもまた将来を思案していた。

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「18歳のとき、生涯年収を試算してみたら、このまま肉体労働者として働き続けて、果たして幸せな人生を歩めるのかと不安になったんです」

「もっと稼ぎたい」と思っていたときに、地元の先輩に声をかけてもらい、フルコミッション(完全歩合制)の営業職へ就職。

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携帯電話の販売を個人が担うことができた時代で、携帯電話を普及させるために、端末を無料配布することで、委託会社は販売報奨金などを得ることができていた。

森田さんも友だち3人と屋号だけの会社をつくり、先輩の営業会社の下請けとして営業を行った。

「それまで月に25万しか稼げなかった僕が初月103万円も稼げるようになったんです。ここから人生が変わりました。途中で他の2人が全くやらなかったんで、半年ほど先輩の会社にお世話になって、訪問販売などの営業技術を学びました」

営業経験を積んだことで、19歳からは、中学のときの仲間を集め、携帯電話と中古車販売を行う有限会社をつくった。

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毎日20時間くらいは働いていたという森田さんだが、忙しくて2001年に発生したアメリカ同時多発テロ事件のニュース映像を見る暇も無かったようだ。

「いま思えば、かなり情報リテラシーが低いですよね。何年か経って事故映像を観て、大きな衝撃を受けたのを覚えています。そして、その年にITバブルが崩壊したんです。めちゃくちゃ稼げてたんですが、稼げる本質を知らなかったんですよね。たまたま、そういう時代の波に乗っただけだった。だから、もっと堅実なことをしなきゃ駄目なんだなということを学びました。まだ21歳だったから、若いうちにそういう経験ができて良かったですよ」


3.誰もやらないこと

6年ほど経営していくうちに、スタッフや代理店も入れると数百人ほどに増えていったが、事業を拡大したい森田さんと保守的な仲間との間で意見が衝突するようになったため、25歳のとき、自身が代表取締役を務める(有)マーケットエンジニアを設立した。

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これまで携帯電話の販売業を手掛けてきた森田さんにとって、独立するということは顧客の取り合いになってしまうことは否めない。

そこで、森田さんは考えた。

「せっかく6年間携わった業界で起業するのであれば、みんながやらないことをやりたい。2年間という目標を掲げて、誰もができないと言われていたドコモショップ運営を目指そうと約束したんです。『大手メーカーや商社でなければドコモショップなんて、絶対無理だ』と言われ続けていたけど、みんなができないことをやりたい性格なもんで。もし実現できなかったら、2年で解散して会社の資金は社員へ分配することを誓いました」

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ところが、1年半が経過しても、ドコモショップが立ち上がる兆しさえ無かったため、あるとき社員5人が辞表を提出してきたそうだ。

「社長が言っているのは夢物語にしか聞こえない。不安で仕方ない」という社員の訴えに対し、森田さんは泣いて謝罪し、「あと6ヶ月だけ、俺の夢に付き合ってほしい」と真摯に応えた。

そして、何とか解散を食い止めることができた森田さんに奇跡が舞い降りる。

絶対に不可能だと言われていたドコモショップ運営を、ちょうど期限の2年目で手にすることができたのだ。

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「社員たちとのコミュニケーション不足が原因で、いままで夢だけを語っていたんだと思います。でもドコモショップを手に入れることができて、思考は現実化するということを再認識しました」


4.思考は現実化する

この「思考は現実化する」という言葉は、1937年の刊行以来、歴史的名著となっているナポレオン・ヒルの同名著作で、森田さんのバイブルにもなっている。

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森田さんは、東京六大学出身の同級生たちと話す機会があったとき、中卒で一生懸命に経験を積んできたが、知識を兼ね備えた同級生たちは、自分よりさらに高みにいることに気づいた。

その人たちから勧められた一冊が、『思考は現実化する』という本だった。

そして経営についての学びを続けるなかで、森田さんは、デジタルハリウッドSTUDIO札幌校の運営やWebシステム開発業広告代理店業不動産業など、さまざまな事業を立ち上げて経営を多角化することに舵を切った。

この選択は、単なるリスクヘッジだけではないようだ。

社長を育てたかったんです。まったく同じような考えをもっている人間を増やすのは、本当に楽しいんですよ。ひとつひとつの会社の社長は、全員違うんです。会社の価値とは、『仲間』だと思っています」

こうした複数の会社を統合したものが、2015年に設立した持株会社IRGホールディングスというわけだ。

森田さんは、何より人材育成を大切に考えている。

しかし、そもそも人を引きつけるためには、圧倒的な魅力が必要なのだ。

「行動力と夢を語るのは得意な方なんですよね。19歳で会社つくったときも、『無人島を買ってみんなで生活しよう』って言ってました。あの頃は、『ひとり1億円を持つことを常に考えたほうが良い』なんて言ってたんで、そういうことを言う奴は周りにいなかったと思いますよ」

お話を伺うなかで、森田さんの原動力のひとつが、人と違うことをしたいという欲求なのではないかと感じている。

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中学時代は社会からはみ出す形で、それが表出していたが、社会に出てからは、ビジネスの分野で見事に花開いているのだから、頭が下がる思いだ。

「『この事業をやりたい』といって始めたのは、マイルシェアくらいなんですよね」と語るように、マイルシェアは森田さんにとって大きな挑戦でもある。

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5.自分の道を進め

「自分がずっとトップに居座っていると、いつまで経っても社員の人たちは上に行くことが出来ないじゃないですか。だから、僕は自分で別の階段を準備する必要があるんです。ある研修会で、いま第四次産業革命の最中だという話を耳にしたんですよ」

蒸気、電気、そしてコンピューターと、これまで人類は3つの大きな産業革命を経験した。そして、現在は、AIやロボット工学、IoTなどが僕らの働き方や暮らしを大きく変えている。まさに「第四次産業革命」というわけだ。

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「自分の会社を振り返って考えたとき、このままじゃ、いつか全部なくなっちゃうかも知れないと思ったんです。みんなが車に乗っているなかで、自分たちはまだ馬車に乗っているんじゃないかって。だから何かITサービスを形にできないかと考えていたときに、年間で100回くらいはフライトしてるんですが、経営者が余らせているポイントやマイルを活用できないかと考えたんです」

日本の中で最も飛行機移動が多い区間が、森田さんが頻繁に利用する羽田〜新千歳路線だ。

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新幹線との競合が皆無なこともあって、ドル箱路線とも言われている。

思ったら、すぐに行動に移す森田さんは、世界情勢を探るため、2016年4月に初めてシリコンバレーに視察へ出かけた。

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「当時、Uberが流行っていて、『白タクだ』と避難されていたんです。でも、ユーザーからの需要は高くて、いまや多くの人が利用するサービスにまで成長してますよね」

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こうした実体験を受けて、2018年から日本では誰も手を付けていなかったマイルシェアのサービスを開始。

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拠点である札幌と東京・渋谷に2つのオフィスを構え、いまや登録者も4万人に近づく勢いで急成長を見せている。

「本拠地を札幌に置いているのは、地元の札幌を大切にしていきたいという想いが強いんです。田舎でも世界が狙えるということを地元の若者に感じてほしいと思っています。もちろん、夢はマイルシェアを世界一のサービスにすることですよ」

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今年3月からは、後進へ道を開くため、IRGホールディングスの代表権を譲り、会長職に就任した。

常に進化を続けようとする森田さんの姿から、学ぶべき点は多い。

でも、一貫しているのは、常に自分の意志を信じるということだ。

森田さんは、自分で自分の人生を生きている。

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過去には、いろいろな人から助言や苦言を受けることもあっただろう。

そうしたときに、他人の意見に流されるのではなく、ときには耳をふさぐことだって大切なのだ。

果たして、僕らが握っているのは、自分のコントローラなのだろうか。


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櫛野展正(くしの・のぶまさ)
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