村上 桃香「なんでも半分こ」
1.女性コーチの時代
2019年秋に日本中を魅了したラグビーワールドカップ。日本代表の快進撃を支えたのは、メンタルコーチを務めていたひとりの女性だった。
近年、アスリートや経営者の傍に女性コーチがついて精神面を支えているという事例は多い。
岐阜県在住の村上桃香(むらかみ・ももか)さんは、カウンセリングとコーチングの技術を使って、様々な人のサポートを続けている。
妻とであり一児の母でもある彼女は、どのようにしてカウンセリングとコーチングに出合ったのだろうか――――。
2.人生の転機
「すごく簡単に言うと、カウンセリングは、マイナスからプラスへ。コーチングはゼロからプラスへと持っていく支援なんです」
そう話す村上さんは、1975年に宮崎県内で2人姉妹の長女として生まれた。
「小さい頃から、踊りが好きで、特にピンク・レディーが大好きでした。『スタンドマイクがなきゃ嫌だ』とわがままを言ってたら、爺ちゃんが手づくりのスタンドマイクをつくってくれたのは良い思い出です」
小学校6年生のときには、身長が158センチになっていた。
当時としては高身長だったようで、男の子からからかれることも多かったため、「小さくなりたい」と願っていたようだ。
「それからすぐに成長が止まって、いま159センチなんですけどね」と笑う。
中学に上がると、吹奏楽部へ入部しホルンを吹き始めた。
卒業後は私立の高校へと進学。
ここでも吹奏楽部に入り、青春を謳歌したようだ。
そんな村上さんに突然試練が訪れる。
卒業して浪人生活を送っていたときのこと。
父親が脳梗塞で倒れ、55歳でこの世を去ってしまった。
父親の死後、一家は家を出ることになったため、村上さんは大学進学を諦め、働き始めることになってしまった。
朝はパン工場でパンを焼き、昼と夜はレストランに勤務。
以後も、事務員や派遣社員などあらゆる仕事を兼務し、19歳から27歳になるまでは働き詰めの生活を送った。
27歳からは損害保険会社で事務職員として勤めたが、そこで転機は訪れた。
「とにかく忙しい職場でした。社内でも精神面で不調をきたす人が出てきて、同じ会社の友だちが休職することになったんです。間違った言葉を使っちゃいけないし、どういう声掛けをしたらよいか分からず悩んでいました。ただ話を聞くことしかできかった。友だちは休職を繰り返しながらも、何とか会社に戻りました」
当時の村上さんは、心理学の本を読むなどして勉強することしかできなかったが、このことがずっと頭の片隅に残っていたようだ。
父が急逝したことで、突然働かざるを得なくなってしまった。
田舎だったため、大学に行く手段や職業の選択肢も乏しかったようだ。
誰かの伝手や所得の高さだけで仕事を選んできたと言うから、「もしかしたら私も紙一重で精神を病んでいたかも知れない」と当時を振り返る。
3.学びの時期
そして32歳のとき4歳下の男性と結婚し、寿退社することができた。
そのまま夫の転勤で秋田県大館市へと転居した。
専業主婦となり落ち着いて学ぶことができる環境になったことで、村上さんはカウンセリングの基礎となる技術と知識を身に付けるため産業カウンセラー養成講座へ通い、その後、産業カウンセラーの資格を取得した。
2011年7月には娘を授かったことで、子育て中のママたちの相談にも乗っていった。
やがて自身が学んだ知識を広く共有するため、2013年3月からはブログを開始。
ママたちがつくった子育て支援団体の活動にもボランティアで協力するようになっていった。
そんな最中、夫の転勤で今度は岐阜県本巣市へ転居となり、産業カウンセラーの資格更新の研修に出かけたときに出合いは訪れた。
コーチング研修の外部講師だった秋田稲美さんの考えに惹かれ、師事すると同時にコーチング技術も学ぶようになった。
「カウンセリングをするなかで、ストレスをためやすい考え方の癖って、例えば親子の関係性が希薄だったり自分に自身の持てる経験が少なかったりと幼少期の影響が大きいなと思うんです。もちろんそれが全てではありません。小さい頃に虐められたり無視されたりした経験から、例えば道端で知り合いに挨拶しても気づかれなかったときに「私のこと嫌いなんじゃないか」って思い込みがつくられることだってある。そこから、誰かに頼れなくなったり、自信がなくなってチャレンジに躊躇したりすることもあるかも知れません。だからそういう思考を予防していくために、子どもに『考え方や視点にはいろんな選択肢があって、自分で選べるんだよ』ってことを伝えたいんです」
そう考えた村上さんは、2017年から秋田稲美さんが考案した夢をビジュアル化する目標達成ツール「ドリームマップ」と、和久田ミカさんが代表理事をつとめる「子どものこころのコーチング」の勉強を開始。
以後は、子育て中のお母さんやその子ども、学校現場やオンラインなど色々な場面でカウンセリングやコーチングの技術を伝え続けている。
4.ふたりで半分こ
「子育てって大変。でも、面白い。昔の私だったら、全部ひとりで頑張らなきゃと思っていたから、大変だと思っていました。でも、カウンセリングに出逢ったことで、自分自身も偏っていたことに気づいたんです。知り合いも誰ひとりとしていなかった秋田に転居してからは、近所の人や出会った人の力を借りるなどして、とにかく人に頼りまくって子育てをしていました。お陰で、子育てを楽しむことができるようになったんです。子どもの頃に好きだったテレビアニメで『名犬ジョリィ』というのがあるんです。そのエンディング曲「ふたりで半分こ」のように、喜びもしんどさも分かち合える社会をつくることが目的です」
ひとは誰かに何かを説明することで、より深くそのことについて理解するようになることが知られている。
村上さんは自分の見識を誰かに伝えていくことで、自らも成長し学びを続けているのだ。
村上桃香さんの名前の「桃」の字のうち、「兆」は左右2つに離れるさまを表し、「木+兆」で実が二つに割れる木を意味する単語だ。
「名は体を表す」の諺ではないけれど、まさに誰かとシェアすることを天命としているようにさえ思えてくる。
彼女のサポートを通じて、社会に”分かち合える”人がどんどん生まれてくるのかと思うと、この世の中も少し楽しみになってくる。
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