耳が何を欲しているのかは自分の現状に大きく左右されると思っている。そこで固有のアーティスト名をあげられたなら、はやり歌と共に自らを紐解くこともできたのだろうけど。

やすい女性声優の歌声をすがるように耳に垂れ流していた頃があった。安っぽいというより聴きやすいというほうが合っている。やすい曲だったのさ。

よく泣いていた
朝となく夜となく区別のない空を眺め、労働者を乗せるだけのマイクロバスを待つバス停で。これから働くのかとっくにくたびれたのかわからない疲労感だけいつも携え、そこでそういったやすい曲をただひたすら聴いた。

渇き。という映画でイカれたシーンででんぱ組.incが劇中歌で用いられていた。薬物パーティーヒャッホーのBGMとして、なるほどイカれてやがると、よく知りもしないアーティストを貶したのかもしれないけど、それが自分と重なったのかと言われると、そうではない。

ボクにとっての毛布やタオルケットのような音だった。ボクは生涯で一度も風俗へ足を運ぶことはないと言い切れるけど、結局は母なる優しさ(のような別物)を体感として欲したのだ。手塚治虫のような話でしかないのだ。やはりすごいな手塚治虫。

それでもそんな19-20の愁いの時期も伊集院光のラジオによって補完され続けたのだった。決してなにも補われてなければ完璧でもなさすぎるのだけど。働かなくていい日に深夜の馬鹿力を聴けば、それでやっと休日に踏み入れた気分になった。

ここらへんは曖昧にゆっくり振り返ろう

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