呪いの眼鏡とわたし
どうやら、眼鏡に呪われています。
イヤ違うんです。スピリチュアルとかではないんで。逃げないで!
偶然出会ったとある眼鏡のおかげで「なりたい私」が見つかった? 固まった? という話です。(とある眼鏡というのはこの記事の表紙とか厄年なのでnote始めますの記事の表紙にもなってるやつですね。)
まず大前提として、32歳の誕生日を機にイメチェンしようと思っていたんです。
しかし「なりたい自分」自体は特になかったんですよ。とりあえず「伸ばしていた髪をばっさり切ること」「眼鏡を黒から肌馴染みの良い色に変えること」「服はこれまでと大きく変えないこと」が条件で、美容室でどうオーダーしたものか、と悩んでいたのが、だいたい9月末~10月はじめくらいまでの状況でした。
そして10月10日、イメチェン後にかける眼鏡を選びに行った先で私は劇的な出会いをしました。
初めは、オーソドックスなメタルフレームや、ブラウンや明るめのグレー、ピンクベージュなどのセルフレームを吟味していたのです。
あまり主張が強くないものを求めていたのと、ベーシックカラーならどんな服にも合うと思っていたので。
しかし、しっくりくるものがありません。どれも「違う」。
いろいろ悩んで選択肢が減っていくうちに、手に取ったのがこいつのブラウン。
つくりは物体としては格好いいが、眼鏡としてかけるには手入れが面倒そう。丸顔の私にはちょっとボストンのラウンドがきつすぎるきがする。さらに、ちょっとフレームの茶色が濃い。
けど、とりあえずかける。
ほら、しっくりこない。
やっぱりな、と思って外して……ふと魔が差しました。
この灰紫っぽいやつをかけたら一体どうなるんだろう、と。
明らかに主張が強い色です。今回の目的「主張が強くない眼鏡を買う」に反しています。
ついでに私のパーソナルカラーは春ビビッドです。くすみ色のパープルなんか、絶対駄目そうです。
これをかけて似合わないことを確認して、別のフレームに移ろう。
掛けました。鏡を覗きます。思わず息をのみます。
眼鏡は、違和感なく顔におさまっていました。
顔の丸みは強調されています。むしろ四角い。肌の色もいうほど元気がある感じではない。しかししっくりきている。
おかしい。違和感がないことに対する強烈な違和感がある。
これではまるで「それをかけるべく私が作られた」かのようだ。
漫画だったら頭の上に大量にクエスチョンマークが飛び交っていたことでしょう。
あるいは眼鏡を掛けた瞬間、わたしの作画が劇的に変わっていたかもしれません。
「この眼鏡に合う人間を描いてください」という指定でもあったかのように。
結局私は、その眼鏡を買いました。
そして32歳を目前に始めたこのnoteの最初の記事のアイキャッチをその眼鏡にしました。
さらに「なりたい私」などというものは、依然としてありませんでしたので、髪を切りに行った際のヘアオーダーも、この眼鏡が似合うようにしてください、と依頼しました。(まだ眼鏡が届いていなかったので眼鏡の写真をみせました)
その際、カラーもしたので一種の賭けだったのですが、届いた眼鏡をかけると奇跡的に色が合っていました。
ついに、1本の眼鏡に導かれるように「新しい私」が完成しました。
振り返れば、「そもそも何故イメチェンしようと思い立ったのか」がうまく思い出せない。32歳というのはあくまでタイミングでしかないですし。
因果関係をまったく無視して、「なるほど、この眼鏡に出会うから、この眼鏡をかけるために、イメチェンをしようと思いついたのかもしれないな」くらいには思えてしまう。
眼鏡に自己の目的意識を占領されている。あるいは眼鏡に自我を上書きされている。そんな感じですが、不思議と不快ではない。
というわけで、どうやら眼鏡に呪われています。
追記
もしかして、私、この眼鏡のことが「好き」なのか……? この自我が上書きされる感じが「好き」という感情なのか?