キレる扇風機。 (超短編小説)
この扇風機、風が強い。
いや、強いどころではない。
もはや立っていられないほどの強風だ。
これはもはや、台風の域である。
急にどうしたんだ。
昨日まで通常運行していたはずなのに。
・・・。
「まさかこの扇風機、キレているのか!?」
そう言ったこの男も、この扇風機に対してキレていた。
あまりの強風に垂直に立っていられないため、前傾姿勢でなんとか踏ん張りながら全力でキレている。
「ふざけるなっ、扇風機がキレるなんて聞いたことないぞ!?」
この男はキレながらも、同時に困惑していた。
この扇風機には意思が宿っているとでもいうのだろうか。
扇風機は依然として表情一つ変えずに、自らが発生させるその風によって怒りをあらわにしていた。
「もしかして、俺、昨日なんかやらかしたのか?」
男は昨日のことを思い出す。
昨日はとんでもなく暑かった。
この男の部屋にはクーラーがないため、昨今の猛暑を扇風機だけで乗り切っている。
だが、あまりの暑さにイライラしてしまい、なぜかその怒りの矛先を扇風機に向けてしまった。
「風量が弱いんだよ、風量が。もっと気合い入れやがれ、ちくしょうっ」
たしかそんな感じの事を言った気がするようなしないような…。
とりあえず、男は試しに扇風機に対して、謝罪の意を表してみることにした。
「扇風機さん、なんか、ほんと、昨日はすんませんでしたっ」
男は前傾姿勢を更に深める。
何をやっているんだ俺は…、男は心の中でそう呟いた。
しかし、その数秒後、一瞬だけ風が弱まった気がした。
男はこの隙を見逃さず、さらに謝罪の意を強めていく。
「ほんとのほんとに、すんませんでしたーーーっっっ」
「扇風機さんには感謝しかありません。扇風機さん、いや扇風機様がいなければ、今頃俺は野垂れ死んでいました。命の恩人です。今後とも末永くよろしくお願いいたしますっっっ」
思い返せば、この扇風機との付き合いもだいぶ長かったため、途中から本気で謝罪していた。
男の前傾姿勢はさらに前に傾き、気づけば土下座の位置まで到達していた。
まさか人生初の土下座を、扇風機に対してするとは思いもしなかった。
だが、これでいいのだ。男は静かにそう思った。
・・・。
扇風機の風の強さが少しずつ弱まっていく。
そして、数分後には昨日までと同じ状態に戻った。
ふと扇風機を見上げてみると、心なしか、男の目には扇風機が微笑んでいるように見えた。
いや、爆笑しているのだろうか。
腹抱えて大爆笑しているようにも見えてくる。
まあ、どっちでもいい。
男もまた微笑んでいた。
家具が散乱した部屋で、男はひとり、通常運行に戻った扇風機の風を受ける。
今まで以上に、扇風機の風が涼しく、そして優しく感じる。
男は、これまで味わったことのないような多幸感に包まれる。
「当たり前の幸せは、なくなって初めて気づくことができる…」
男は、何か大切な事を知れたような気がした。
キレる扇風機との出会いが、この男をまた一歩、いや半歩だけ成長させたのである。
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