ダルマ落とし、運命の瞬間。
この画像は、ダルマ落としの運命の瞬間を捉えた奇跡的な一枚である。
これを撮影した当時、私は何が何でもダルマ落としの決定的な瞬間をカメラに収めてやろうと、ひたすら躍起になっていた。今思えば何故そこまで躍起になっていたのか理解不能である。
だが、人間というのはいつ何に対して夢中になるのかなんて予想できない。いつだって気づいたらよく分からないことに夢中になっていたりするものである。それが今回の場合、ダルマ落としだったというだけの単純な話なのだ。
この難題に挑戦しようとしたとき、二つの壁が私の前に立ちはだかった。
まず一つ目の壁は、ダルマ落としに関する技術力の問題である。
この時の私は、ダルマ落としを長らくやっていなかったため数年のブランクがあり、そもそもダルマ落としを上手くやるという時点で苦戦を強いられていた。最初の数回は中々上手くいかず、ことごとく頂点に君臨するダルマが地に突き落とされていた。
だが、やはりこの体は覚えていたのだ。かつて積み上げたダルマ落とし技術を。何度か練習を重ねる内に少しずつ感覚を取り戻していき、最終的にはかつてと遜色なく上手にできるようになってきた。ダルマもその威厳を保ったまま、地面に堂々と着地できるようになってきた。
こうして、なんとか私は一つ目の壁を乗り越えることに成功した。
そして、次に立ちはだかった第二の壁は、この刹那的な情景を一体どうやってスマートなフォンのカメラに収めるか、というものだった。
ダルマの下に積まれた者達を綺麗に打ち抜くためには、右手の素早い動作が必要不可欠である。速度が遅いと綺麗に打ち抜けないのだ。そのため、その僅かな一瞬をなんとかしてカメラに収めなければならなかった。
だがこれが非常に難しい。今思えば動画で撮影して編集でカットすればいい話なのだが、この時はそんなことは頭にはなかった。ただただ写真を撮影することしかできなかったのである。
写真撮影となるとタイミングが非常に重要であるが、中々合わない。スマートなフォンのカメラに連写機能があることも知らず、愚直に一挑戦一撮影で挑み続けた。
また、この時はスマホを設置できるようなものも持ち得ていなかったため、右手で全力で木槌を振りつつ、左手でスマホを手に持って撮影するという、実に困難極まりない挑戦だった。
だが、私は決して諦めなかった。この行為に目的など微塵もなかった。それでも、私は挑み続けた。目的や意味なんてなくても、ただただ成功したかった。それだけだったのだ。
そうして長い激闘の末、私はなんとかその刹那をつかみ取ることができた。つかみ取ったその刹那には、珍妙なダルマ達の姿が映し出されていた。
振りかぶった右手、木槌、打ち飛ばされた者、この三者が全力でブレる中、ダルマをはじめとする他の者達は一切微動だにせず、その荘厳な姿を我々の目に焼き付ける。
その姿はまるで、この時代の大きな“うねり”を表しているかのようであった。
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