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人類の一体感をヒシヒシと感じた瞬間

数年前のゴールデンウィーク中。

我が家の車は、大都市“TOKYO”に向かう途中の高速道路のトンネル内にて渋滞につかまっていた。

ノロノロと進んだり止まったりを繰り返し、代わり映えのない風景が延々と続き、運転手である我が家の大黒柱をジワジワと疲弊させていた。

そして運転手でもない私なんぞも、一丁前に疲労感をていし始めていた。

ただ、唯一救いだったのは、車内で私の好きな「Official髭男dism」の皆様のグッドでステキなミュージックが流れていたことである。

これによって私は疲労感を呈しつつも、リズミカルに心のビートを刻んでいた。「精神の躍動感」と「渋滞の停滞感」という両極端の“感”が、見事に調和していたのである。


そうしてモゾモゾと数多の車たちが一様に小さな前進を続ける中、後方からけたたましい救急車のサイレンが鳴り響いてきた。

前方で事故があり、その現場へ向かっているらしく、次第にサイレンの音が我らのもとへと迫ってきた。

すると、続々と数多の車たちが一様に道路の端に身を寄せ始めた。我が家の大黒柱も迅速に車を端に寄せた。

瞬く間に救急車が通る道が開かれ、救急車は颯爽さっそうとその開かれた道を駆けていった。

救急車は去り際に、数多の車達に向けてこんな感じのことをおっしゃった。

「ご協力ありがとうございます」


この光景を目にしたとき、なんとなく私は人類の一体感をヒシヒシと感じた。

サイレンの音が聞こえ始めた瞬間に、何も言わずとも皆が一様に車を端に寄せて道をつむぎだす。そして、その紡ぎだされた道を救急車が颯爽と駆け抜けつつ、感謝の意を述べる。

当たり前と言えば当たり前の光景なのかもしれない。逆に救急車に道を譲らなかったら愚の骨頂である。

しかし、当たり前のことを当たり前にこなすというのは、そう簡単なことではない。むしろ結構凄いことなのではないだろうか、と思う。

こうした状況に際して、当時の私は僭越せんえつながらこう思った。

「人生、まだまだ捨てたもんじゃないな」と。

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