20歳、ターニングポイント〜前編〜
【草】を【分】けて、開【拓】して【弥】(ひろくゆきわたる)
どうも草分拓弥です。
あなたには明確なターニングポイントはあるだろうか?
僕はある。20歳の時だ。さすがに何日かは忘れたけど。
18歳の時にワタナベコメディスクール一期生として入った。
当時高校3年生の10月に入学した。
入学といっても、週2回しかなかったので普通に通えた。
入学の時にトライアウトとして入学金免除になる大会に出た。
コンビ結成して数日で考えた「カンニングをし合う高校生2人」というほぼ一切話さないコントで
特別賞をとった。優勝者、準優勝者はなしで。
入学金は25%免除で入れた。
親も「この子いけるのかも・・・?」と思ったと思う。
そこから、めちゃイケの元祖爆笑王さんやら、いろんな放送作家、構成作家さんからダメ出しをされては、ネタを書いてダメ出しをされてはネタを書く時期へ。
ワタナベコメディスクールは半年で一期入ってくる仕組みになっている。
4月に二期生としてハライチが入ってきた。
彼らはトライアウトで準優勝で入ってきた。優勝者はなしで。
入学金は50%免除という形で。事実上2期生のトップということだ。
おそらく同い年だった僕らは焦った。
だいたいの養成所に入ってくる人はみんな年上だった。
だからなんとなく、まだ余裕があった。
しかし、ハライチが同い年で準優勝で入ってきた。
当時やっていたネタは、正統派な漫才だった。
勢いが明らかに違った。でも彼らもいきなり売れるわけではなかった。
6年目あたりからのブレイクなので、まだ全然世に出られなかった。
「彼らでもいきなりは売れないのか・・・」
キングコングやオリラジってどれだけすごいんだ。。
僕らはシュールなコントを作り続けた。
ネタが尽きてきた。
又吉さんの「火花」という映画をみると胸が痛くなる。
共感の嵐と、当時の歯痒い気持ちが溢れ出す。
一番キツかったのは、正月だ。
19歳の正月。毎年恒例でうちは実家に親戚が1月1日に集まる。
テレビはバラエティ番組ばっかりだ。
「お前はなんで家にいるんだ?」と父親に揶揄われる(からかわれる)。
ムカついた。
3年目になった時、20歳になった僕は、ワタナベコメディスクールから売れる人が全く出てない状態に焦りを感じた。
「売れてない人と一緒にいてもダメだ」
これを強く思った。何か人脈を作らなければ。。。
ライブに来てたお客さんとその後に飲みに行って、仲良くなってまた違う友達を呼んできてもらったりした。結構必死だった。
そんな時に、出会ったのが髙橋淳さんだった。
友達のお姉ちゃんの友達(⇦だいぶ他人)である淳さんに
出会って早々
「芸人やってるんだ。へぇ〜。。で、売れなかったらどうする予定なの?」
と聞いてきたのだ。
…?
それ聞く??
と思った。なんてデリカシーのない人なんだろうと。
でも、その人はIQサプリのタイトルロゴを書いた人だったので、
芸能界に繋がりがありそうだ!という魂胆で会っていたのだ。
ここで食い下がってはいけない。
そう思って、たくさん話をした。
次第にとっても親身になって話を聞いてくれて、いい人であることがわかった。
その方に紹介していただいたのが、実業家の中野祐治さんだった。
僕はここから大きく道を転換することになる。
つづく。
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