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広重浮世絵の世界 ⑩小田原

歌川広重「東海道五拾三次〈狂歌入東海道〉小田原」(草津市蔵)

小田原(神奈川県小田原市)は関東の入り口を抑える要地であり、その役割を果たすべく戦国期の小田原城が再整備されました。城の周囲には城下町が形成され、「小田原宿」の機能を担う町としても繁栄しました。
 また、東海道屈指の難所、箱根峠を西に控える場所にあり、天保14年(1843)頃には本陣4軒、脇本陣4軒、旅籠94軒を有する東海道屈指の宿場でした。

本シリーズの「小田原」で描かれたのは、小田原城下から少し離れた人通りがやや少ない東海道の道筋と背後の青々とした相模湾です。そしてよく見ると海岸付近には地引網漁の網を大勢の人が引き上げている光景がみられます。
地引網は舟で大きな網を海に広げ、浜辺から人々が網を引き上げる日本各地で行われてきた漁法ですが、「湘南」と呼ばれている相模湾沿岸部でも古くから受けつがれてきました。ここでは、アジ・カマス・ヒラメ・サバ・イワシ・シラスなどの多種の魚が獲れますが、現在では、そのほとんどが観光地引網となっているようです。

次回は、急坂を登りゆく「箱根宿」の絵を紹介します。