ドラムはじめて物語その⑩〜ansony〜
~前回までのあらすじ~
「一年間、ansonyのサポートベースとして頑張ってくれたMくんがやめてしまった。二人きりになったansony…さてさてどうする?」
流石にベースが居ないとライブは出来ない。ansony、まさかの結成一年で活動停止!?
と思いきや、転んでもタダで起きない男ひろゆきがこんな提案をしてきた。
「シーケーンサーでベースを流して二人でやろう」
もちろんベーシストはこれから探すとして見つかるまでの繋ぎってことで。
こうして2ピースバンドansonyが誕生。
ステージではひろゆきが一人で前に立ち、ドラムはステージの後ろの定位置、縦一列に並んだ形でライブをやるようになった。
そんなある日、新宿JAMの前店長が
「二人でやってるのも悪くないよ、どうせだったらドラムセット前に出して並んでやってみれば?」という提案をしてくれた。
あの頃はまだドラムセットを動かすバンドはあまりいなかったから斬新!
私達はこのスタイルがなかなか気に入った。
そして何より全然お客さんがいない我々にそんな提案をしてくれたのが凄く嬉しかった。
次第に「ベースが見つかるまでのとりあえずな2ピース」
ではなく
「2ピースとしてやっていくのもいいんじゃね?」と思い始めていた。
そんなansonyだが相変わらずお客さんはゼロに等しく毎回イヤになるほどのドン引きライブだった。
最初の頃は来てくれていた数少ない悪影響時代のファンも次第に離れていってしまった。
キャッチーな愛の詩を歌いながら何故かいつもキレ気味なひろゆき、1人ヘラヘラ笑っているさおり。
意味不明。
ああ…悪影響はいつもお客さんがいっぱいで盛り上がってたっけな…。
あの時はあれが当たり前だと思ってたけど
いま思えばほんとに有難いことだったんだなとやっと気付く。
てか、まだSNSがない時代・・・どうやって集客すれば良いのよ?!
流石にお客さんゼロの時は店長にこんな事を言われた。
「ゼロってのはダメだよ。ゼロと1人は大きく違うんだよ。お母さんでもお父さんでも呼ぶぐらいの必死感出したらどうよ?」
あの頃のブキマネはハッキリ意見を言ってくれる人が多かった。
沢山のことを教えて頂いたが、特に印象に残っていることがある。
ラママのブキマネYさん。
「だいたいどのバンドもそうなんだけど、ラスト1曲になるとみんな急に元気になってくるよね。ホッとするんだろうけど、とてもいい笑顔でイキイキしてくる。なんで最初からそれやらないの?」
う・・・・・・図星すぎる!!
20年も前に言われたことだが、忘れられない。
そして決めた。
「最初から全開」
やってやろうじゃないのっ!
チカラ尽きて途中でダメになったとしてもそれはそれで良いじゃない。
少しずつ何かが見えてきた気がする。
なかなかしんどいバンド活動だったが、
それは大盛況な悪影響と、ドン引きなansonyの両方を味わったからこそわかる何事にも変えられない貴重な経験となるのであった。
さてさて、ドン引きansony…今後の運命はいかに!?
(次回予告)
こんなansonyにもまさかの出来事が!!
しかしあの男がまた・・・・・・
お楽しみに。