【カラーパイ】私の色ってどんな色だ?
僕は「性格診断」の類をよくやる方である。
有名なところで言えばMBTIやエニアグラムから、診断サイトで流れてくるような〇〇診断みたいなものまで気が向くたびに回している。
そんな中で、最近面白いと思ったのが「カラーパイ診断」だ。
カラーパイとは、老舗TCG『マジック:ザ・ギャザリング』(以下MTGと呼ぶ)で用いられる5色(白・青・黒・赤・緑)をパイのように一つの円から五等分に切り分けたもので、それぞれの色同士の役割や思想の関係を見るための図だと考えても良い。
そして、カラーパイ診断とは、その5色の中で自分が持つ傾向を前述した
5色のうち、寛容度と反発度のそれぞれ高低を診断するために用いられる。
診断方法は以下のURLで説明しているのでそちらを参照してもらいたい。
https://twitter.com/M_Gamelin/status/1060478878324469760/
(自分で線を引くっていうのが面倒、ぐちゃぐちゃになる人向け)
〇診断結果と判断理由
結果から言えば、基本的には緑の寛容度が比較的高めになることが多く、
続いて青が高い傾向にある。これを人格という形にするのであれば、
「緑の現状追認に青の考えたがり」が備わった「ことなかれ主義」という
人間性になるのだろうと考えている。
以下は診断基準に対する僕自身の判断理由を乗せたものになる。
〇:肯定 △:場合による(ここでブレる) ×:否定
・我欲を抑制する-△
欲はまあ必要な方だと考えているが、欲張って失敗することが多いので。
・情動を抑圧する-〇
強い感情を人に向けること、人に向けられることを恐れている。
・異物を疎外する-△
器はそこまで大きくない方。が、自分も異物になることがあるので。
・隠し事が多い-〇
人間、知られたくないものの方が多い。言いよどむ傾向がある。
・野心的である-×
陰謀には加担しないに越したことはない。知らぬ存ぜぬが花。
・欺瞞で出し抜く-△
嘘をつくのは下手だが、正直を通せるほどの強さは無い。
・破壊を行う-×
申し訳ないが破壊はNG。やるとしても、やりすぎるべきではない。
・身勝手である-△
人間、身勝手こそ基本であるが、度を過ぎればという話。
・乱痴気騒ぎが好き-×
苦手。遊びが下手な方という自覚はある。
・乱雑である-〇
綺麗に出来る方ではない。あと雑な画像や音声の切り貼りとか好き。
・野蛮である-×
人を敬えないし野蛮は尊べない。怖いので。
・向上心がない-〇
一番苦手な言葉は「頑張る」で二番目は「工夫」。
・同調圧力をかける-×
人のものは人のもの。あくまで自分で引き受けるべき。
・迎合的である-〇
自分で考えるとキリが無くなるタイプ。知的怠慢とも言う。
・新奇を否定する-△
どうでもいいが正解。頑なに否定するほどでもない。
・実用主義である-〇
球速自体は大事だが筋肉投球で被弾するのはいかんでしょ。
・序列を好む-×
ゲームやアニメの売り上げによる煽り合いを不毛だと思うタイプ。
・断定したがる-×
決め打ちして後で恥をかくなら保留したほうがいい。
・前ばかり見る-×
大事なんだろうが下手な方。つい感情を引きずってしまう。
・ブレーキが無い-×
ブレーキをつけろ。ここは鳥人間コンテスト会場じゃないんだぞ。
・すぐ考えを変える-〇
しっかりとした定見は持てている方ではない。
・妥協的である-〇
何故ベストを尽くさないのか?ベターで御の字と思っているからだ。
・悲観的である-〇
何故ベストを尽くさないのか?ベストが見えないからだ。
・厭世的である-△
尽くす価値もない世界と呼ぶには、まだベストを尽くしていない。
・結論を急ぐ-×
万全の状態でない時に出た結論は大体狂っている。
・何かを妄信する-△
妄信の危うさは理屈として知っているが、ニヒルそのものにはなれない。
・根拠なき精神論-△
負け癖は抜くべきだが、無邪気に勝てるという思い込みは苦手。
・主体性がない-〇
近代的自我という価値観を信用しきれていない。
・理屈を捏ねたがる-〇
理屈は捏ねられるだけ捏ねたほうがいい。言い訳は要る。
・あいまいである-〇
この世はわからないことがたくさんある。
以上の△を〇にした場合の数値を見ると、
寛容度:白7、青9、黒7、赤5、緑10。
反発度:白5、青1、黒6、赤6、緑1となる。
一方で、△を×にした場合の数値は、
寛容度:白3、青6、黒4、赤3、緑8。
反発度:白3、青1、黒4、赤4、緑0となる。
こういったぶれ幅を考えても、やはり緑の強い青緑となるのだ。
〇青緑の向き不向き
青と緑はカラーパイの理論においては「対抗色」と呼ばれる色であり、緑の「あるがまま」が青の「進歩」を阻止し、青の「開発」が緑の「浸食」を阻止する組み合わせとなる。これにより、先述した「現状追認する理由を考えたがることなかれ主義」という悪癖が成立する。そこには赤の持つ「情熱」も、白の持つ「規範」も、黒の「エゴ」も無い。
つまるところ、それは「だらしない」ということに尽きるのだ。
しかし、この「だらしなさ」は生きていくということにおいて邪魔ばかりをするかというと、そんなことはないのではないかとも思う。
緑の「生存本能」と青の「理性」によるブレーキは、赤の「向こう見ず」や白の「義憤」、黒の「誘惑」に対して待ったをかけてくれる。
(ただし、人間である限り常にブレーキが効くわけではないのだが。)
それどころか、緑は青に、青は緑に重要な気づきをお互いへもたらす。
緑が生きてきた中で蓄積してきた「物証」は青の「理論」への補強材料となり、青がもたらす「科学」は緑の「受容」が持つ限界を大きく引き伸ばす。
これにより、青はより正確性のある理論を、緑はより多くのものを受容できるという効果を、それぞれ手にすることが可能となったのである。
ただし、それはどちらも正常なはたらきをしていた場合である。
青の理論が歪んでいた時、緑によって蓄積された物証は恣意的なものばかりとなり、緑の受容が歪んでいたとなれば青の科学は迷走を始める。
こうして、導き出すべき答えは埋没し、己が存在できる環境はますます狭まっていく。
〇おわりに
ここまで長々と書いてみたが、それでも取りこぼしているものは多いだろう。「見て考える」のは大事だが、「何に役立てられるか」「そこに正しさはあるか」「それが破られた時にどうするか」にも想いを馳せることもまた必要とされているのかもしれない。
カラーパイは色々な物事を知るためのユニークな手がかりの一つである。
今後もまたここで取り上げるかもしれない。
おしまい。