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帰ってきたのね、わたしのサングラス

五月末に病院に行った。バスに乗ってバッグの脇ポケットからサングラスを出そうとしたら……ない!布のサックだけがそこに入っていた。

今朝,急にバッグを替えた。あの時急いで物を入れ替えたから、テーブルの辺りで落としてしまったのだ、きっと。

家に帰ってから、もう一つのバッグの中を捜した。ない!

部屋中を捜した。サングラスを化粧道具箱に入れることはありえないが、もしや、と化粧箱の中も捜した。

玄関の鏡で自分の出で立ちをチェックするから、もしかして、玄関の棚に置いたのかも……ない!

どこに行ったのだろう。

自分の部屋と居間を這いつくばるようにして捜した。ない!

それから二週間。普段使わないバッグの中まで捜した。

これを神隠しというのか。安いものだったから、もう、あきらめよう。

昨夜、真夜中,ガバと目覚めた。絶対、この部屋のどこかにあるはず。もう一度捜そう。

飾り棚の裏から机の引き出しまで捜す。ない!一晩中、眠れなかった。

朝が来た。

今日は銀行でお金をおろして、それから、百円ショップで文房具を買おう。家にばかりいると、人生が灰色になってしまう。

外は煌めく日照りだ。大きな帽子とマスクで顔を隠し、バス停に。

道路を流れる車の列をぼんやりと見ていたが、何気なく後ろを振り返ると……。

あれは何?サングラスじゃない?ウソ、木の枝にかかっている!わたしのサングラスだ!

驚きは感動に、そして感謝に。誰かがバス停で拾って木の枝にひっかけておいてくれたのだ。

飾り紐はすっかり色落ちし、メガネの部分は汚れている。でも、どこも壊れていない。三週間、ずっとここでわたしを待っていてくれたのね。

昨日、サングラスはわたしを呼んだのだ。「バス停にいるから来て」と。

憑りつかれたように、一晩中、捜したのは、サングラスに呼ばれたからだ。

「物」には魂があるような気がする。安物でも古くても、安易には捨てられない。まして自分が身に付けたものは。

自分の考えで捨てたのなら、心の中で謝って終わりにするが、失くしたりすると、自分の一部が迷子になったようでつらい。未練が残る。

ああ、あなたは帰ってきてくれた!

なんて素敵な一日の始まり。

これから何かいいことがあるかも。心が弾んだ。向こうからバスが来た。バスは笑っていた。


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