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障子貼り

何処の店に行っても横長に切って貼るタイプの障子紙が姿を消し、障子一枚の大きさの襖紙のような紙がほとんどになっていた。

長年、障子は一段ずつ横に貼っていくものだと思っていたので、とある店で見つけた横長タイプの紙を迷わずに買った。
本当は美しい透かし模様の入った紙を買いたかったが選択の余地はなかった。無地しかないのだ。
お店の若い売り子さんが「昔は一回で貼れる大判はなかったのですか?」と驚いていた。「年々、障子紙を買う人は少なくなって、特に横長は売れないのですよ」と……。

巻紙のような障子紙を繰り出して、長い定規で計り、鉛筆で印を付けて切ってゆく。
無心の境地、頭の中は空っぽ……。
ただただ、きちんと定規を当てハサミで紙を切る。

窓の障子二枚分は10枚。縁側の大きな障子二枚分は12枚。この作業でほぼ一時間、疲れた。今日は終り!
鴨居の上の小窓の障子は外してから、大きさに合わせて紙を切ろう。

二日後、とても天気が良かった。急ぎの仕事もない。
貼る紙の準備はできている。今日、一気にやってしまおう!


紙を破る作業

障子を外し、ひたすら紙を破る。障子の骨を拭く。
どうせ紙を貼るから適当でいいや、と雑な拭き方だが、それでも雑なりに神経を使う手仕事だ。
濡れたテッシュペーパーで骨を拭いて乾くのを待つ。天気が良いのですぐに乾いた。

洗面器に「ふのり」を水で溶かす。水が少なすぎても多過ぎても巧く貼れない。長年の勘しかない。
すべて子供の頃見ていた母の手順の見よう見まねだ。特に教えてもらったわけでもないが、古い障子を破るのだけは猫と一緒に大はしゃぎで破りまくった思い出がある。

とくに手伝いをしたわけではないのだが、母の手作業の手順は私の脳に刻まれていたのだ。

障子があるのは私の部屋だけ。
私だけの大切な空間。
一年に二回、娘家族が二組訪れる時はこの部屋を使う。その日のために、私の部屋は綺麗にしておきたい。この空間が大好きだから、障子貼りは苦にはならない。

多分、この作業は私の代で終り……。

手を動かしながら頭は空っぽ。心は無心。まるで修行僧だ。修行したことはないが……。
全神経を集中したのに、ところどころ、紙が少し弛んでいる。糊が乾かないうちに手で押して弛みを直す。

貼り終わって、糊が良く乾いたころ、障子をはめる。
外したのだから、簡単にはめられそうだが、なかなかそうはいかない。家全体が古くなって微妙に歪んでいるのか。
押してもだめなら引いてみな、という演歌の歌詞を思い出しながら、いろいろやってみる。最終的に足で一番下の枠を蹴ったら上手く入った。

真白な障子紙、部屋が一段と清清しくなった。
いつまで見ていても飽きない美しさ。

私が子どものころ、世の中は貧しかった。テレビもエアコンもなかった。
遠足の時は学校で配るおやつを持って行った。おやつを買えない子どももいたからだ。
そんな時代だったが、母は、暮れになると必ず新しい障子紙に張り替えた。

そんなことをふっと思い出しながら、私の障子張りは終わった。

新春に先駆け部屋の飾りつけも新しく

おわり


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