日常の孤独
退院してから、少しは病人らしく労わってもらえたか。
ノー。
娘達は遠くに住んでいてそれぞれ日々の仕事と家庭がある。電話であれこれ語るぐらい。一か月に一回ほど顔を見せる。
同居人は夫だけだ。
恐ろしいぐらい元気で90近いと言うのに水泳に行くわ、山登りに行くわ。妻のことなど、昔からそうだが、労わったり、世話したことなどない。
私は高齢者介護保険の世話になれない。
元気いっぱいの配偶者がいるから、何の援助も受けられないのだ。
実態は関係ない。
元気な配偶者がいる限り、公的支援は受けられない。
実態は関係ない……。
離婚していれば様々な支援が受けられただろう。
離婚すればよかった……。
私は日々のルーティン・ワークをすべてやっている。
娘には。「何もしないで寝ていたらいい」と言われるが、
何もしないでいたら、家はゴミ屋敷になる。
不衛生になって、カビだらけになる。
今日も夫は「ゴミー」と玄関で叫んでいる。私が分別して玄関まで運ぶのを当然と思っている。
「新聞ー」「手紙ー」当然のように叫んでいる。
この年代の男性、
妻を労わるとか介護するとか考えたこともない世代なのだ。
それを怒ったり、分かってもらおうとすれば
ストレスで体調が悪くなるだけ。
私自身、観音様になるしかない……。
洗濯ものを干す。掃除をする。食事を作る。
すべて避けることの出来ない日々のルーティン・ワーク。
夫は庭のブルーベリーを摘んで「これ、食べる?」と優しげに笑う。
それと蒲団干し。
これだけで大仕事をなしとげたと思っている。
姉に話したら「その二つが出来たら上出来。私の夫は一つもできない」
男は「二つ出来たら褒められる」
女はすべてをやって当然。
私は孤独だ。
少しは労わってもらいたい。
家事の半分とは言わない。
せめて10パーセントでも……。
女に生れ、病気になり、孤独しか感じない。
生れた時代が悪かった……
抗癌剤を打って体の具合が悪い最初の一週間も
掃除・洗濯・簡単な食事作りはやった。
そんな中、夫はいそいそと仲間と高尾山に行った。
私は孤独だ。
生きてゐても仕方がないと感じるほど孤独だ……
おわり