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青天の霹靂  (2)

人の情

集中治療室では時間が分からないことが一番つらかった。
翌日からは相部屋を希望していたが空きがなく、個室へ。
携帯を自由にかけられるし、部屋が広いことはよかったが、一人ぽっちの寂しさ、経済的なことも考え、大部屋を希望。
三日目に大部屋に引っ越せた。

夕方、なかなか食事が出ない。まさか、私、夕食抜き?
ろくに食べていないから、このままじゃ、死ぬよ……。
不安になって通路に出ると、お隣さんが二人、窓際で何か話していた。
「あの、夕食って何時ごろでしょうか」
「けっこう遅いのよ。でも美味しいよ、ここの食事」
「じゃ、ナースセンターの周りを運動に歩いてきます」
「私、あなたのストーカーになる。後ろをついていっていい?」

それが最初の会話だった。
翌日はもっと会話が弾んだ。食事の前後が自然に話せる時間帯だとなんとなくわかってきた。
「私、大腸がん」「私も。3年目で再発」「私、5年目に入ったとたん卵巣に再発」言いながら、もう、私は涙声。
「今は昔と違って薬も医術も進歩している。抗癌剤もいろいろ種類があって副作用もだいぶ改善されてるらしいよ」
「薬で癌細胞が消えてしまった人もいるというし」
「昔だったら助からない命も助かる時代だから、がんばろうよ」
「長谷川さん?信じようよ。先生の方針を」
「見て!空がきれいだよ」
「病気がよくなって、病院の外で会える日が来るよ、きっと」
「私たち、皆、70代。まだまだ若い!がんばろうよ」

窓から見える青空は美しく輝いていた。

夜、緊急入院の若い女性が運び込まれてきた。
「私、今夜、緊急手術なんです。胆管何とか…だって」
彼女は不安いっぱいで青ざめている。
「若いんだからだいじょうぶよ」
「麻酔するから痛くも痒くもないよ。目が覚めたら終わっている」
「あっというまよ。がんばれ、がんばれ」

YさんとMさんは車いすで去ってゆく女性に手を振って見送るた。そんな気の利いた対応のできない私は二人に合わせる。
「良い人と同室でよかった……」
彼女は半分泣きながら廊下を消えた。

Yさんは、小さな個人事務所の事務をしているという。緑内障で視野が半分は欠けているとか。
「でも声は分かるよ。長谷川さんの雰囲気、なんとなくわかる。よいお友達になれそう」
Mさんはカラオケ店の清掃をしているという。
「私は病気で使ったお金は働いて取り戻す。それがモットー。だから、退院したらまた清掃の仕事する、長谷川さん、カラオケやる?やるべきよ。腹筋のトレーニングになるから。今、地図、書くね。私が勤務の日に、来てね、一緒に歌おう」

体調が落ち着いたら、
抗がん剤治療を乗り越えたら、
絶対に彼女の勤めるカラオケ店に行く!

それから4日目の火曜日の朝にYさんが退院。
同日の昼食後、私が退院とあわただしく決まった。

退院の荷物持ちのためだけに娘たちに来てもらうことはできない。
病院の駐車場は工事中でタクシー乗り場はとてつもなく遠くなっている。
大きな荷物を高齢者が抱えてバスを乗り継ぐのも大変だ。
おまけに朝から雨が降っている。

「とにかく二人でがんばるしかないのよ。絶対に時間に来てよ」
私は夫を𠮟りつける。叱らないと動かないのだ。

Yさんが近づいてきた。
「私の夫が車で迎えに来るから、あなたもお乗せしたいの。差し出がましいかも知れないけれど」
「……そんな御迷惑を」
「迷惑とかじゃないの。この三日間、楽しかった。良いお話がいっぱいできた。ほんとうに楽しかったの。だから、あなたをお宅まで送らせて」

Yさんは看護師さんに退院の時間を私に合わせるよう頼んだ。
「長谷川さんは車がないし、旦那さんも高齢で荷物持ってタクシー乗り場まで行くの大変だから、私の旦那が、いいよ、送るよって」
看護師さんは嫌な顔ひとつしないで時間を調整してくれた。
「仲良しなんですね」と笑って。

Mさんは「さびしくなるわね。でも、また誰か入ってくるから……」
と私たちを見送る。

畳職人だというYさんの夫は体格がよく、ひょいひょいと私の荷物も持ってくれた。
「すみません。私の夫の座席まで作ってもらって」
「なんてことありませんよ」

結局、私の夫は何のために来たのか分からない状況であった。
「トイレ、行っておいて。途中でしたくなると迷惑かけるから」「ちゃんとシートベルトして」「あなたからもお礼、言って」と、あれこれ私の仕事が増えてしまったが、Yさん夫婦はにこにこと見守ってくれた。

雨の中、大きな白い車は走る。
久しぶりの外の世界は懐かしく、美しかった。
我が家の門の前まで車をつけ、Yさんが荷物をもって、玄関まで運んでくれた。
緑内障で目がよく見えないというのに……。
私はなんと言ってお礼の気持ちを表せばいいの?

あれから、私は彼女たちに電話していない。迷っているのだ。
詳しい予定は知らないけど、また、入院中ということもあり得る。自宅で静養中かも知れない。

「お礼に何か贈ったら?」
夫は言ったが、
「絶対にお礼とか考えないで、と言われたの。私のほうから、乗ってくださいと頼んだのだから。こうしたかっただけだから、って」

一期一会というけれど……
会うは別れの始めなりというけれど……

私たちの退院の日、Mさんは言った。
「また病院で会うのではなくて、カラオケ店とかステキなレストランとか、外の楽しい場所で偶然出会いたいね。わあー、お互い元気になったねー、とと嬉しい場面で会いたいね」と。

あの言葉を思い出す。
Mさんにも今は電話しないほうがいいのかな……。
二人の電話番号はしっかりとメモしてあるのだが……。

わたしたちの治療生活はおそらく長く続くだろう。
諸々考えて、私は、結局、電話もお礼も控えた。

生涯忘れえぬ人の情けに包まれた素晴らしい出会いだった。

                         続く


この記事を公開した後、携帯の電話が!
Mさんからでした。Yさんにも電話したら、懐かしい声が聞こえました!
「抗癌剤治療に関してはネガティブな情報ばかり集めてはだめ。プラス思考で行こうね」
二人に励まされ、これからの治療にとても前向きになれました!





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