わたしの出会った判事たち -13-
朗らかな笑顔(1)
裁判長は裁判所に一人しかいない。「判事さん」とは呼ばれない特別な存在。
普段、何をしているかわたしは知らない。だが、調停事件はもっている。夫婦間調停だけだ。
件数も他の判事より少ないから、調停室で顔を合わせることもほとんどないままお別れということも多い。
それでも、わたしには忘れられない裁判長がいる。
それはドイツ人の夫と日本人の妻の事案だった。
就任してまだ十年も経っていなかったころだ。
控室の書籍を借りてドイツの民法を必死で読んだ。
平成二十年ごろからは、外国人の事案には、該当する国の離婚に関係する法律の訳文が必ず添付されていたが、その頃は自分で勉強する以外なかったのだ。
わたしが大学で西洋文学専攻だったから、この事案が来たのか、偶然だったのかは分からない。
調査官が分厚いA4版の書類をわたしに渡して、
「ちょっとタイトルだけでも訳してくださいませんか。忙しければ無理しなくていいです」
文学作品ではないから、辞書があれば何とかなるだろう。
表現はともかく、言っていることの意味を間違うことなく訳せればいい。
親権、養育費、生活費、などの基本的な考え方が書いてあったような記憶がある。
三日ほど後、レポート用紙に手書きで訳文を書いて調査官に渡した。
それから一週間後ぐらいだったか。控室のわたしのケースの中にきちんと折りたたまれた紙が入っていた。
広げると裁判長からの手紙だった。
「訳文はとても役に立ちました。ありがとうございます。今後もよろしくお願いします」
飛び上がるほど驚いた。裁判長から手紙をもらったのだ。端正で綺麗な文字だった。
結局、裁判長と調停室で顔を合わせたのは二回ぐらいだったか。取り下げで終わったような記憶がある。
ある日、午後の仕事を終え、部屋を出るともう六時を過ぎていた。正門は閉まっている。
脇門に通じる通路が分からなくて、うろうろきょろきょろしていると、暗い廊下の奥から背の高い男性がやってきた。
あ、裁判長…。
「ドイツ語訳してくださった調停委員さんですね」
裁判長は覚えていてくれた。朗らかな笑顔で、
「あの時はお世話になりました。今、雨が降っていますよ。私は公用車に乗りますが、駅までお乗せしましょう」
「いえ、歩いて駅まで行きます」
「ほんとうは規則違反ですが、駅まで五、六分のことですから」
裁判長はニコッと笑った。
駅までどんな会話を交わしたか何も覚えていない。運転手さんもわたしも無言で、裁判長だけが朗らかに何か話をしていたような気がする。
翌朝、正門玄関に向かっていると、大きな黒い公用車がわたしの脇を通り過ぎた。
と、窓ガラスが開いて、「ハセガワセンセイ、おはようございます」
ニコニコと手を振ってくれたのは裁判長だった。
一年も経たないうちに転勤なされ、その後大出世されたとか。
『実るほど頭を垂れる稲穂かな』という諺を思わせる方であった。
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