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もうすぐ端午の節供!
朝六時、運動をかねて近所を散歩。大きな鯉のぼりが庭に垂れているのを見つけた。
ハッとした。もうすぐ五月なんだ!
コロナ禍騒動で端午の節供が近いことを忘れていた。
いつもなら、『鯉のぼり制作工房』の心浮き立つ情景が報道される頃なのに、それさえ目にしなかった。
☆ 節は五月にしく月はなし。さうぶ、よもぎなどのかをりあひたる、い みじうをかし。(枕草子三十七段)
江戸時代まで人々は旧暦で暮らしていた。当時の五月五日は、私たちが今使っている新暦では六月二十五日ごろに当たる。
梅雨の真っただ中!
薬も医学的知識もない時代、梅雨時の束の間の晴れ間に人々は山野に出た。野草を摘み、それを冠にして頭に挿したり、腰に飾ったり、屋根に葺いた。疫病退散の願いをこめて。
それが端午の節供。
当時は疫病で都の半数の人が落命することも珍しくはなかった。
実際、藤原道長が『棚ボタ』で政権を手にし、長期政権を維持できたのは、ライバルたちが疫病で命を失ったからとも言われている。
源平争乱で多くの人の命を奪ったのは、戦ではなく中国地方に流行った疫病だったとも。
そんなこと学校の授業では習わなかった。こういうこともきちんと教えるべきだと思う。
人間の歴史は疫病との戦いでもあったことが抜け落ちている。
古来、人々は疫病退散の願いをこめて神さまに食事を供えた。これが節供の由来。鯉のぼりや鎧兜を飾るようになったのは江戸時代の武家が始まりだ。
清少納言が「鯉のぼり」を見たら「これ、何!」と目を丸くしただろう。
そんなことを思いながら、しばし鯉のぼりを見ていた。
どうか、コロナウィルス終息の兆しが見えますように。
晴れやかな五月となりますように。叶わぬ夢かも知れないけれど……。