移動時間が好きだ pha
青春18きっぷについての本を調べていたら辿り着いた。
経済力と時間が限られている僕が大移動するには青春18切符がいい。
今年の春休み二回4泊5日の旅に出てからというもの、青春18きっぷのお得さと、旅に魅せられている。今年の冬も青春18きっぷと北海道&東日本パスを使って12/28から1/8くらいまででプランを立てている。
その参考にというのと、単純に旅人の旅行記は唆るという二つの理由から僕は旅についてよく調べる。
どうやらphaさんという人はプロのニートらしい。たまたま次に読んだ山奥ニートでもphaさんの話が出ていた。まだ調べきれていないけど、この人は面白そうだと思った。あと何と言っても自分の志望校だった?今も少し迷ってる「京大総人」の出身ってのも魅力的に見えた。
山奥ニートで書き忘れていたが、僕の地元には山奥で自然と共に学ぶ高校がある。僕は今いって高校に落ちていたら多分そこに行っていただろう。それくらい僕にとって自然とか旅は魅力的で、ただこういうものって学歴だとかそういうものがなくても楽しめるものだ。今必死こいて勉強しててもそういう生活に憧れるんだから最初からそういう生活をしとけばいいのかも知れない。ただ、勉強頑張った上でそういう暮らしとか経験することがいい気がしてるだけ。それだけやるってのができない性なのだと思う。知見を広げ、いろんな興味を持った上で、自然に向き合う。なんかそういうのを今は求めてる。正しいのかはわからないけれど。その点で著者は完璧に先駆者だ。どんな本になっているのだろう。
彼が好きなのは18きっぷで途中下車をしながらする旅。
青春18きっぷ初心者の僕にはまだわからない。タイトル通り、移動時間を楽しんでいる筆者。少し自分の旅についてはなす。
僕は旅に出たいという思いと、本当に勉強の呪縛というか、そういうのから抜け出せない自分がいて、そこまで移動を楽しめていない。通学が電車1時間、その間いつも勉強していることもあって、熊本から滋賀の大津、熊本から徳島に行ったときも15時間くらいの移動のほとんどを勉強に使っていた。四国を回った時の山村の桜は綺麗すぎて流石にペンが止まって見惚れてたけど。
しかも、1日でどれだけでも限界遠くに行ってやるっていう気持ちになる。乗り換えがあるため、大津に行くときと同じ駅で待ちが発生した四国旅行の時はもうその駅には飽きていた。同じ駅は案外飽きる。その時は1週間の間隔を空けて二回も行ったから退屈に感じられだけなのかも知れないが、僕にはまだまだ移動を楽しめる余裕はなさそうだ。
「いろんな街を見てその町でたくさんの人がさまざまな生活をしているというのを想像するのが楽しい」
わからなくもない。どんなところに行ってもそこで暮らしている人がいる。なんか不思議な感覚になる。
今年の冬の旅行のネックはなんと言っても宿だ。
全然野宿しようと思っていた。しかし東北の友達に舐めるなと言われた。僕が今回1人で旅したいのは、宿にお金をかけなくていいという自由さがあるのも一つ理由だと思う。
大阪への一回目の青春18きっぷの旅では友人の兄の家に泊めてもらい、四国旅行では毎回やすい宿に泊まった。
宿って未成年だとすごい大変。プラスで書類書かなんかったり、その場で見つけるのは結構きつい。ネットカフェとかも入れないし、野宿とかするとしても補導とか怖いしね笑
四国に行った時感じたが、宿に払うお金がなければどれだけ安く済むだろうか。もちろん宿を楽しむ旅ならいいが、コンセプトとして、やっぱり安く行きたい。そうなるとやっぱ野宿だよねえ。野宿に対する憧れもある。滋賀に行った時、3時くらいまで琵琶湖の周りを歩いて、流石に眠いのと寒さで、ジョイフルに駆け込んだ。仲良くなったヤンキーくんにジョイフル行けばいけるって教えてもらってて、初めて感謝した。そういえばそいつ昨日子供ができました。今までありがとう。変わりますってストーリー出してたな。衝撃やった。地元が不良とかいないせいで、せっかく公立の普通の中学行ったのに、そういう友達は1人もいなかった。子ども食堂でボランティアしてる時にあった人なんだけど、僕はこういう人からも学べることはあると思う。高校以降は自分と似たような偏差値の人とばっか関わる。知らず知らずのうちに自分の普通が世間の普通では無くなるのが怖い。自分の高校は、中学から受験をして集まってくる人も結構いて、なんなら小学校から。そういう人たちは、このとしで子供がいるような人とは関わってこなかったんだろうなと思うと、それは必ずしもいいことではない気がする。高校になって僕は田舎だったが不良がいなかったためにできなかった知り合いを作り、宿がない時の過ごし方と、同い年でお父さんになるっていうことの覚悟を学んだ。さっすがにはやすぎやしねえか。高校の友達の同級生には中学の卒業式に自分の子供を連れてきていた子がいたらしい。それがいいのか悪いのかは別にして、僕は刺激的だと思う。いろんな人が学校で混在しているっていうのはなんか特別だと思う。ちょっとあんまり深掘りしたら誰かから怒られそうなのでこれ以上はやめておこう。
そんなことを考えても、冬の東北で野宿は流石に死ぬよなあっていう不安は無くならない。北海道とかにホームレスいるのかな。宿問題はこれからも尽きなそうだ。
「そろそろ今晩の宿はどうしようかということを考え始める。
宿を探すにはある程度大きな町に行く必要がある。安く一夜を過ごせるネットカフェやサウナやカプセルホテルはある程度以上の繁華街にしかない。そうやって無事に宿を確保できるとほっとする。よく知らない街の安っぽい寝床で眠りにつく瞬間が一番、「旅だなー」って気分になる。その一瞬の「感じ」を味わうために、僕はときどき旅に出てしまうのだと思う。」
やっぱり宿を探すっていう楽しみ早く経験したい。と感じる。旅っていつまでも楽しみ方が尽きなそうで、ああ俺は旅に生きるんだろうなってなんとなく感じている。そんな生き方できたら幸せだなー。
直島
本書では時目て直島はベネッセがプロデュースしていると知った。
ベネッセってそんなこともしてるのか!経営とか、プロジェクトとか知れば知るほど面白い。にしてもベネッセなんや。
四国旅行をした際に小豆島には行ったのだが、時間の都合上直島には行けなかった。だから今回行きたい。
瀬戸大橋から見た島々が綺麗すぎて、もう一度訪れたいと思った。サイクリングしようかなー、あと心残りで言うと、四国旅行なのに高知行けなかったこと。アクセスが悪すぎる笑今回そのためだけに四国経由するのもなー迷い中。
「小笠原諸島22泊25日ただし途中で帰れませんツアー」
なんかどすこいっていうユーチューバーので見たなー行きたいって思った。いつか行きたいことリストに迷わず入れました。
筆者はひたすら「何もしない」をしたくて小笠原まで行った。それは何か僕のフィリピンでの旅に重なる部分がある気がする。僕は特別なことは何もしない。現地の生活を2か月して何を感じるか。みたいなのが一番の目的だ。こんなんでトビタテ受かったの今考えたらすごい。その時は落ちるわけねえって思ってたけど。これは他のトビタテ生のすんごい行動力とか、プレゼンにかけた時間とかを聞いたらそう思わざるを得ん。
「本土で起こるニュースやイベントは自分にあまり関係のない遠くのものとして聞こえてきた。」
「自分が旅というものに求めるのは、普段と違う環境に身を置くことによって自分の普段の暮らしを相対化してみたいということだ」
痛いほどわかる。よくぞ言語化してくれたとも思った。自分で言語化できるようになろう。本当に悪いが、なんか地震が酷かったらしいじゃないか。なんか自分ごととして考えられなかった。やっぱり共感ってないと人の心を動かさないのかな。知り合いのストーリーとか見たら、大丈夫なのかなって心配になる。まだ自分には想像で自分ごとと捉えるのは厳しそうだ。
「夕日なんてものは写真では実物の1万分の一くらいしか良さが伝わらないものだから、写真を見返してみても、当時の感動をほとんど思い出すことができない。でもそれはそういうもので仕方がない」
そうだよなー写真に撮ることに意識を取られるくらいならその一瞬を目に焼き付けた方がいいと思う。だってそっちの方が心に残る。でも1万分の1の良さでもそれがないと忘れてしまうくらいなら、見返してその時を思い出せるならそれもそれで悪くないと思う。僕も結構写真を取ってしまう。損してるのかな。
「たくさん面白いことをしてたくさん忘れながら、「あんまり細かいことは覚えてないけどなんか色々いい感じだった気がする」くらいの気分でずっと生きていけたらいいなと思う」
なんていい言葉だ。もはや詩人。本当にこういう生き方したい。忘れるのはもったえない気がするが、なんとなくいい感じ。めっちゃ幸せな人生な気がする。
「昔野宿に憧れていた頃に買ったテントを一回も使っていない。」
はい今憧れてます。野宿についての記述が始まりそうだったので先人の経験を学ぼうと思いましたが、どうやら野宿はしていないようで。これ一番知りたかった笑
そんな感じで、旅に自分を乗せた本としてとても魅力的でした。