"Let's Talk About RACISM Vol.2" コメント
先月26日に、私たち草ノ根が開催したオンライントークライブ、
"Let's Talk About RACISM Vol.2"。
振り返り記事はこちら↓
その放送内では、前回に引き続き友人・知人からのコメントをご紹介しました。
本記事では、耳で聞くだけじゃなく目で読んでもグッとくる、
そんなコメント3編を改めてご紹介します!
以下、紹介順
1. METH
10歳の頃にアパルトヘイト(人種隔離政策:南アフリカ) を社会の授業で習った時の感情を未だに覚えている。
ゴミの山のような場所に住居が建てられ、有刺鉄線で周りを囲む街並みと黒色人種の生活の営み。
「牛や豚のように扱われる人種がこの世界にはいる」という先生の言葉もレイヤーとなり、子供ながらに「不条理」に対するショックな感情は、今でも感覚に残っている。
時代は80年代後半、MC ハマーが時代を席巻し、ド派手なアフロアメリカンがご機嫌に踊り歌いお茶の間に浸透していた。実家は電器店を営んでおり、その頃日本でも徐々に普及し始めた衛星放送のデモンストレーションを親がセッティングしていた画面で突然出会ったMVが「BOBBY BROWN / EVERY LITTLE STEP」だった。
ハマーのエネルギッシュでストロークの広いランニングマンもいいが、ボビーの軽快でオシャレなシルエットのランニングマンに心が奪われた。
ダンスに夢中になり、今自分はその延長線上の人生を進んでいる
ストリートダンスという入り口から入り、HIPHOPという進化型・参加型のカルチャーにドップリとハマり今に至ります。
私が人生の中で最も影響を受けているHIPHOPは、アフロアメリカンを多く含むマイノリティーのコミューンから発生したモノであるが故に、音楽にも政治的でコンシャスなトピックや、ブラックイズムを積極的に表現する異彩を放った文化だ。
(それぞれのエレメントが成熟し、その「コンシャスさ」は、「アカデミックさ」にポスト占領されつつある昨今ではあるが…)
90年代に一つのピークを迎えた時、「華麗なスポットライトに立つロックスターのそれ」とは違う独自の光を纏った存在だった。
HIPHOPにログインすることと社会問題と対極することは=で結ばれる。
ファッションや仕草、スタイル・サインに込められた意味や手法。
人種問題がクロスオーバーするこのシーンの中で、MCサーチやエミネムなど人種を超えてプロップスを得ることができる白人ラッパーの活躍には、このカルチャーの寛大さ、根本的な魅力が詰まっているように思う。(ヤバいヤツに人種は関係ない)
その後の商業的な成熟とともにメインストリームの中心に躍り出たこのムーヴメントは、今また大事な局面にいる。
自分は、単純に「憧れ」が好奇心に繋がり、今では「情」に値する感情で心が着地している。
真っ当なシステムの上にない実質アメリカ属国の我々日本も、この先にある格差問題とシステミックレイシズムがオーバーラップし他人事に思えない。
アフロアメリカンの苦悩の歴史と立場は、これからの自分たちの未来においても多くの学びと知恵をもたらしてくれるものだと思っている。
光と闇をストレートに表現することで魅力が出るこのHIPHOPカルチャー。
BLMは、アメリカの黒人種特有の問題なだけではなく、「レイシズム」という偏った支配思考との議論の着火材として多くの人とシェアできたら、と切に願います。
自分はどの人種の人ともガッチリ挨拶交わしたい派です。
2. ミキサン
私は長野県で会社員として暮らしています。
仕事の都合で英会話教室に通っており、昨年、南アフリカ共和国の青年に講師をしてもらう機会がありました
彼はレッスンの中で、幼い頃は遊戯王やドラゴンボール・ポケモンに夢中だったと話してくれて、想像もつかないほど遠い地で生まれ育ったわたしたちなのに、子供時代に共通の思い出があることに驚き感動を覚えました
彼はとても物腰が柔らかく、良く笑い冗談好きで親切で、いいやつです。英語の勉強はかなり億劫でしたが、彼とのレッスンはいつも楽しく過ごせていました
ある日、レッスンの途中で彼は「僕は政治が好き。政治について話したり考えることが好きだ」と明るい調子で言い、わたしが答えあぐねている間に、アパルトヘイトやネルソンマンデラのこと、彼の叔父さんは「Great soldier」であったと語りました。わたしは足元がグラグラと揺れるような気持ちになり、レッスンが終わった後も、なんだか胸騒ぎがして眠れず、その衝撃は今も鮮明に残っています
アパルトヘイトと言えば、世界史の授業で白人用黒人用で分けられたバス停の写真に、「ひどいな、こんなことをなんでするんだろう」と眉をひそめた記憶はあったけれど。それ以来、そうそう思い返すこともなかった自分と、目の前にいる彼という対比、また遊戯王やポケモンの楽しい話題と相まって、言葉に尽くせない感情になりました
soldier(ソルジャー)という単語は、日本で暮らす多くの若者にとっては、ゲームやマンガのようなファンタジーの世界に登場することの方が多い言葉ですよね。
だけど現実に、彼の家族は何代も、人種により差別されあらゆるものを奪われたか世界で生きてきて、きっと夥しい血が流れ、そうしてやっと自由と権利が勝ち取られたこと、そしてそれは彼の本当のことなんだって思い知って、自分はこれから学び、知らなくてはいけないとの決心につながりました
そして今年の5月、ジョージフロイドさんが殺害された痛ましい事件をきっかけにBLACKLIVESMATTERの運動が起きました。2020年にもなってもまだこのような事件が起きてしまうことに怒りと悲しみと、とても暗い気持ちになりました。だけど同時に沢山の人が声を上げていることに驚き、勇気をもらいました。そして苦しみの当事者だけが声を上げている状況は、絶対におかしいし、自分は傍観者でいたくないと思えました。
このコロナ禍でこの社会のあらゆる問題が炙り出されたと感じている人たちは多いと思います。みんなそれぞれ大変な局面だけれども、学び、助け合い、苦しんでいる人に寄り添うことが社会を良くすることだと信じます。
このような学びの機会を設けてくれてありがとう。これからも、よろしくお願いします。
3. さのりー
私は本当にレイシストではないと言い切れるのか?ってここ最近ずっと考えてる…。
もちろん私はいかなる差別を許したくない。
って心の底から思ってるのだけど。
だけど自分の何気ない一言や質問が相手を傷つけてることってきっといっぱいあったよなぁって気づいて苦しくなっている。
「自分はそういうつもりじゃなかった」って言い訳するのは簡単だけど(たとえ本当にそんな意図はなくても)、それは相手にとっては関係ないよな。
よくある「褒めてるんだからいいじゃん」もそう。
あなたや私が差別されてる人たちをどう思うかは全然どうだってよくて、
差別されてる人たちがどう感じているのか、相手の立場に立ってものごとを考えられないといけないなと思う。
↑これは黒人差別だけじゃなくて、どんな差別に対しても言えることだと思う。
自分は安全な立場にいると余計に、不平等や理不尽な事実から目を背けることなんて簡単なんだけど、
自分が見ないようにしたからって問題があることには変わらないから、きちんと向き合いたい。
自分が誰かを傷つけていたかもしれないことに気づくのはすごく辛い。
罪悪感でいっぱいになる。
だけどそんな気持ちになる必要はないのかなと思う(思いたい?)
それはさっきも書いたけど、私がこういう気持ちになったことは関係なくて、今苦しんでる人たちがどういう心境で暮らしているのか、の方が大切。
みんなで目指すべきは差別の根絶だから、
自分も苦しいけど、でもいっしょに闘っていきたいなと思う。
私は環境問題をどうにかしたいって思ってるんだけど、調べれば調べるほど問題の根深さや規模の大きさに圧倒されてしまう。(そういうのをEco-anxietyっていう)
黒人差別でも、不安や絶望を感じてしまうひとは多いんじゃないかなー。
自分がどう思うかじゃなくて犠牲者がどう思うかだ!とは言いつつも、
私たちが罪悪感や無力感で押し潰されてしまったらどうにもできないので、
セルフケアも忘れずにいきましょう…!
思考を整理するのが苦手で、
自分に言い聞かせてるのか誰に向けているのかなんなのかよくわからない文章になってしまったけど…
こうやって考える機会・他の人と意見を交換する機会を作ってくれている、あかねんとせいじ君にありがとうの気持ちでいっぱいです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?