草ノ根プレゼンツ 緊急トークライブ “Let’s Talk About RACISM” をふりかえって[Seiji Horiguchi]
George Floyd氏が白人警官に命を奪われた様子を撮影した8分46秒の動画。あまりに酷い動画だ。瞬く間にネット上で拡散され、様々な反響を呼んだ。それに伴いSNS上で「Black Lives Matter(黒人の命も大事だ)」の言葉と黒い画像が爆発的に広まった。今、世界的に黒人差別に対しての関心が高まっている。
http://www.billboard-japan.com/d_news/detail/88613
あくまで自分の体感だが、ダンサーをはじめストリートカルチャーに携わる人間の過半数以上がInstagramで #blacklivesmatter や#blackouttuesday のハッシュタグをつけて黒い画像をあげていた。成人だけではなく小中高生までもが。彼ら彼女らにとって「警官が黒人を殺害する」というあまりにもショッキングな動画を目の当たりにすることが「このままではいけない」と考え、投稿をするトリガーとなったのだろう。(ただ流行りに乗っかってハッシュタグをあげていたような輩については論外なので、ここでは放っておく)
さて、今回のブログはタイトルの通り「草ノ根緊急トークライブを経て」だ。SNSでの告知の際に長めに書いてはいたが「なぜ開催に踏み切ったか」の話を改めて書き記そうと思う。
理由その1 いろんな現象や問題に対し、自分の意見を持ちたい。
社会に出てからというもの、不平等で理不尽な問題や事件が国内外にゴロゴロ転がっていることを知った。またそういった不平等・理不尽に対し的外れかつ不必要に騒ぎ立てるマスコミやSNSも大嫌いになった。見るだけで気分が悪くなるほどに。(これはコロナウイルスの一件ではっきりそう思った)
ただ「自分はどうなんだ?」とも思った。
自分は世間で騒がれている問題に対してどの程度正確な知識を持てているのだろう?どの程度自分の中で意見を確立しているのだろう?
そもそも国立大学を卒業してサラリーマンになったものの、半年でドロップアウトした人間だ。人に自慢できることは何もない。せめて身の回りで起きている問題に対しては正確な知識と自分なりの意見を持ち、場合によっては確固たるアティテュードをとりたい。
とはいえ、黒人差別という非常にセンシティブな問題を取り上げるならば、
まずはこれまでにどんなことが起こっていたのかを知ることが重要だと考えた。安直な発言は誤解を招き、問題の発展に繋がりかねない。(それが嫌で あえて #blacklivesmatter を投稿しなかったという人もいるだろう)
まず我々に必要なのは客観的事実だ。それを教えてくれる身近な人...と考えた時、パートナーであるヨシダアカネさん以外思いつかなかった。いわば自分は一視聴者としてトークライブの場に参加したいと思った。彼女にトークライブの話を持ちかけてから具体的に構想を練ったりするまでの流れは極めて自然だった。
理由その2 「その態度で良いのかよ」と何度も思った。
2つ目の理由。今回、黒人差別問題に関する投稿が爆発的に急増したSNSを眺めていて気づいたのは「差別する奴を批判し、排除しよう!」とするような発言が多かったことだ。ここに僕の感じる最大の違和感がある。そもそも差別を批判しようとする人間はこう考えている。
「自分が差別する側になることはない」
決定的な間違いだ。我々は誰もが差別する側になる可能性があることを自覚しなければいけない。
池城美菜子さんがブログにて「ステレオタイプ/偏見 / 差別 」の3つの違いについて非常にわかりやすく解説してくださっており、僕が理解を深めるうえで重要なはたらきをしてくれた。
「差別について私が知っている2、3のこと」
http://kusege3.com/discremination/
我々人間は社会の中でスムーズに生きるツールとして無意識的にステレオタイプを用いている。そのステレオタイプは偏見を通り越し、差別に発展する危険性をはらんでいる。
「差別は悪だ。差別はやめよう。」とだけ唱えることはあまりにも当事者意識に欠けるのではないだろうか。それよりも「(ステレオタイプや偏見を歪めた結果)差別をする側にならない為には、どうすればいいかを知る」ことの方が重要だ。だから様々なメディアやライターが映像作品を紹介してくれたりしたのだ。
【特集 Black Lives Matter Vol.3】BLMを知るための7本の映画・ドラマ
https://fnmnl.tv/2020/06/17/99333
白人を責めたり、警官を責めたりするだけでは我々はいつまでたっても前進できないのだ。
以上がトークライブを敢行するに至った理由だ。
トークライブの内容についてもここでざっとおさらいしたいところではあるが、長くなってしまうので割愛させていただく(一緒に勉強しましょう)。
が、一つだけ。
トーク中にアカネさんが取り上げた「うしろめたさ」という感情について。
不公平なことが他人に持ち上がった時に、それを見た人は自分の環境をうしろめたく感じ、その不公平感を正そうとする。この行動こそが様々な問題を解決する為に必要である、と。ただ、我々はその衝動を行動に移す時にその方法をきちんと見定めるべきだと思う。なぜか。
冒頭の "blacklivesmatter" のハッシュタグがSNSに溢れた話に戻ろう。
ジョージ・フロイド氏が殺害された動画を見て「かわいそう・気の毒だ」という感情になるのは当然だが、単に「R.I.P」の意味あいだけで例のハッシュタグをあげている人がいれば、それは浅はかすぎると言いたい。その投稿だけで「うしろめたさ」を埋めた気にならないで欲しい。
問題はもっと大きく、もっと闇深い。
我々に必要なのは、より多くの客観的事実を学び、人々の感情を知り、日常生活においてありったけの想像力をはたらかせることなのだ。そうすれば、我々の身の回りには笑えない問題が多いことに気づくだろう。アカネさんがトークライブの準備中に呟いた「これは単なる流行りごとじゃないし、ましてや綺麗事じゃない」という一言が忘れられない。我々はそういう問題と、歴史と、対峙しているのだ。
我々は間違いなく時代の節目にいる。今の我々の行動次第で未来が変わると思うのは大げさだろうか?途中にも書いた通り、この文章を読んだ方と一緒に学び続けていきたいと考えている。
最後に、今回のYoutubeでのトークライブを視聴してくださった皆様、SNSでトークライブの情報を拡散してくださった皆様、さらにコメント(ステイトメント)を寄せてくださった皆さんに感謝申し上げる。自分やアカネさんの親類も積極的に参加してくれて、もの恥ずかしさと、誇らしさを感じた。
Seiji Horiguchi
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?