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孤独の露呈

初めての海外旅行。2002年2月。米国同時多発テロのすぐ後。激安ツアーを見つけてきた友達に誘われて、イタリア旅行へ行った。
8日間で航空券込み9万円。24年前のことだ。
ドイツのフランクフルト空港を経由して約13時間。
機内で途中ハプニングがあり、突然の縦揺れ。どこからともなく水が吹き出してきた。私はここで死ぬのかもしれないと覚悟した時、無事着陸して、スタンディング拍手が起こった。初っ端から割と危なかったのかもしれない。

私はこのイタリア旅行の中で今でも鮮明に覚えていることがある。
それは、イタリアではない
ドイツだ。

ドイツの空港についた時、時間がないので空港内を走った。

無機質

という言葉がぴったりな空間だった。

なぜか人がまったくいなくて、薄暗くて静かで、室外機の音だけがした。
天井まで続く巨大なシルバーのドアや、太いサンセリフ体のアルファベットが書かれた真っ白な壁。非常に洗練された建築物。余計な装飾が一切ない。
その圧倒的なかっこよさが冷酷な恐ろしさを呼び覚ました。
今でもあの独特の空間を前にした自分の感情を覚えている。

まだイタリアに着く前だから、
日本を出て最初に体験した海外だ。


圧倒的スケール、巨大さ、人工的。

日本でも余計な装飾がなく洗練された建築は存在するが、どこか木の温もりや、有機物のにおいが漂う。
フランクフルトの空港で見たそれは、まったく有機物の気配がなかった。

不要なものはバッサリ捨ててしまう清さ。
日本もドイツも根底では思想が似ているが、こんなにデザインのアウトプットは違う。その違いに震えた。

この後、メインのイタリアでもたくさんの心踊る経験をしたが、
なぜか記憶に残っているのは、フランクフルト空港のほんの数分の世界だ。

SFの世界に迷い込んだような。
もう二度と出られないような。
恐怖と見たことのない世界への胸の高鳴りを感じた体験だった。

私が人のいない風景、
橋やビルなど巨大な建築物を描くのは、
あの体験がベースになっているのかもしれない。

圧倒的なスケールのものを前にした時の無力感、
孤独の露呈、
心の奥にしまっている扉を
開かせてしまう魅力を感じた。


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