南蛮で出会えた日本 「ご無事で何より」
ポルトガルの首都リスボンは古いヨーロッパが残っている町。
ヨーロッパが戦場になった第二次世界大戦に参戦しなかったこともあり、古い街並みが、そのまま残っている。
初ポルトガルの印象は、どこもかしこも石畳。
メインストリート、横道、坂道、路地という路地、ほぼほぼ古い石畳だ。
その石畳の道は、歩道であろうが、車道であろうが、うねうねと微妙に波立っている。
石畳というのは、東京の小洒落た町によく見かけるタイル貼りとは、違う。
工場で焼かれた、おしゃれな平たいタイルではない。
天然の無骨な石灰岩を、敷き詰めているのだ。
その石灰岩は、板状ではなく、八面体のサイコロ状の岩で、大人の拳大の大きさをしている。
そのサイコロ岩は、機械で切ってるわけでなく、ハンマーか何かで叩いて、四角にしている。だから、手作り感があって、よく言えば味がある。
その岩を道に敷き詰め、岩と岩の間には、砂を敷き詰めているだけの道。
降った雨が、岩の隙間から染み入り、道が洪水にならない、紀元前からある、シンプルな工法。
たまに道の端が崩れて、サイコロ石がゴロゴロ。砂がざらざらと言う場面に、遭遇する。
私は、改めてサイコロ岩の、大きさ、重さ、無骨さに、驚く。
サイコロ岩は、そのまま凶器になりそうだ。
案の定、ヨーロッパでの暴動には、石畳が剥がされ、サイコロ岩が投石用の石に使われた過去がある。確かに、これをぶつけられたら、命はない。
石畳のサイコロ石は、黒と白の2色。
その石の色を利用して、さまざまな模様が描かれている。
かつての栄光、大航海時代の帆船だったり、幾何学模様だったり、家紋のような柄だったり、歩いているだけで、結構楽しめる。
石畳と坂の町リスボンをうろうろして、3日ほど経った頃、評判のレストランで食事を終え、近くに美術館があると言うので、ふらふらと立ち寄った。
そこは、17世紀の館を利用した古美術館。
パステルカラーのお屋敷そのもの。
街並みに溶け込んでいるので、入り口も、ここでいいのかと思われるくらい小ぶりで目立たず、ウェルカム感がない。
入り口の印象とは反対に、中はとても広く、建物自体も美術品だとわかる。
内容は、彫刻、織物、家具、黄金をふんだんに使った絢爛豪華な装飾品も並ぶ。
絵画は、やはり、宗教画が多い。
私はその重厚な雰囲気に圧倒されながら、館内を進む。
リスボンの名所旧跡はどこもかしこも、観光客で溢れていた。
お城を見るにも、トラムに乗るのも長い列に並ばなくてはならなかった。
でもここは違った。ゆったり見られる、場合によっては、貸切状態。
宗教画が並ぶ静かな展示室を歩くと、その一枚一枚が放つ荘厳なオーラに、心が少し沈んでいくのを感じていく。
美しくも重苦しい宗教画の数々は、苦難や救済、信仰の深さを描き出している。
聖母マリアの憂いを帯びた眼差し、磔になったキリストの受難を描いたシーン、その一つ一つが、私にはとても重く感じてくるのです。
子ども頃、初めてキリストの磔の絵を見た時に、手に直接釘を打つ残酷な極刑に、恐ろしくて正視できなった。それは、今もあまり変わらない。
西洋画がリアルであればあるほど、臆病者ににダイレクトに響いてくる。
精神的にも胸がいっぱいになったので、あと一室で終わりにして、カフェにでも行こうかと考ていた。
広い階段を重たい心で、上って行くと、日本をテーマにした展示室だった。
そこに、南蛮屏風が展示されていた。あの教科書で見た「南蛮屏風」。
そういえば、南蛮人って、ポルトガル人だったんだよね。
鉄砲伝来、種子島・・・教科書に引いたマーカーの、小見出しまで蘇ってきた。
半世紀以上前に、教科書で見た「南蛮屏風」遠い異国、それも南蛮と言われた「ポルトガル」で、初めてお会いできたのです。
鮮やかな色彩、繊細な描写の南蛮屏風を、目にした途端、空気が変わった。
私の中では はっきり空気が変わりました。
「きれい‥‥」
美味しいけど大量の肉料理を食べ過ぎて、胸焼けしたあと、涼やかで美しい和菓子を目の前にしたような気分です。
もちろん西洋画も美しさでは負けてません。
だけど、日本画の美しさは、私たちにとって格別なのです。
洋服のシワを正確に描くより、着物の柄を美しく描くのが優先されるのです。
リアリズムより、美しさ、デザイン優先なのです。
描かれている南蛮人は、とても細かく、正確に書かれています。
異国の衣装、容貌など、とても興味深く描かれ、当時の最新情報としても役に立っています。
その南蛮人を一目見ようと、好奇心旺盛な市井の人々もユーモラスに描かれています。
人々の驚きと興奮が、伝わってきます。
黒船も、孔雀もラクダも象も、正確に描かれています。
虎の毛皮だけ見て、虎を描いたような不自然さはありません。
生きて、動いている珍獣や、黒船を見た絵師が、描いているに違いありません。
また、それが、正確さと同じくらい、美しい模様のように描かれています。
この屏風は、美しく、珍しく、楽しく、そして、鑑賞者に、罪悪感もプレッシャーを与えないのが、嬉しいのです。
金の使い方、これについても全く違います。
大航海時代、金は王、貴族、教会、富豪の圧倒的な財力を誇るために、使われました。
まさに、黄金と呼ぶに相応しい使い方です。
もちろん、戦国大名も、同じ使い方してましよ。秀吉の「黄金の茶室」とか。
黄金を前にすると、古今東西の庶民は、ひれ伏してしまうほど、黄金には、特別な力があるんですよね。
でも、南蛮屏風に描かれている金の使い方は黒を引き立たせるため、美しさのために、存在しているのです。
「センスいいわー、700年前のアーティストだけど凄い、
全然古くならないセンス、グットジョブ!」
と、つぶやいてしまいました。
褒め言葉自体は、全然センスがありませんが、その時は最高の賞賛でした。
設置された、テレビ画面では、ポルトガルと日本の出会いについての動画が延々と流れていました。
その展示部屋は、わざわざインテリアから日本を意識してあり、障子など配して、ヨーロッパにいながら、日本をしっかり感じさせてくれました。
嫁に行った娘が、嫁ぎ先で大事にされているような、喜びがじわじわ湧いてきます。
700年前に描かれた南蛮屏風が、ここにある経緯は分かりませんでしたが、私の頭の中では、妄想が渦巻いていました。
『うんうん、きっと、秀吉が描かせ、ポルトガルの使節に渡し、地球一周分くらいの大航海を経て、国王に渡したに違いない。
そして、何度も戦争を潜り抜け、ここにいるに違いない』
と、妄想が勝手に暴走していました。
「ご無事で何より」
と、手を合わせる私。
側から見たら、何拝んでいるんだと、思われたでしょう。
(注意・南蛮屏風がリスボンにある経緯の話は、完全に私の妄想なので、知りたい方は自分で調べてください)